ミュージシャンと聴き手との関係性⑭
昨日はバンドにおける主観性が強くなることにより、その音楽が「聴き手不在」となる可能性について書きました。
それと、この現象を回避する存在を示唆しました。
今日はその存在とは何かについて書きたいと思います。
もちろんジャンルによって違うのですが、実力的に拮抗していたとしても、パートによって存在感の強さは違います。
ロックやポップスでは、ベースやドラム、立場的に弱いんですよ。
いかに関ジャムでリズム隊の重要性について語ったところで、この状況が変わる訳ではありません。
縁の下の力持ちと言われたところで、縁の下にしかいないんですよ(笑)。
やはりボーカルなりギターが「華」ですから。
ただ逆に言うと、こういう方達は全体を見ていることが多い。
ある意味中心にいないから、客観視しやすい立場です。
実際にプロデューサーでもベースやドラム出身の人、意外と多いです。
音楽的な素養からすれば、一般的にはギターなりキーボードの方が上な場合が多いのですが、プロデュースということに関しては必ずしもそうとは言い切れない。
もちろん音楽的な素養があるに越したことはありません。
ただそれ以上にバランス感覚の方が重要です。
だからこそ、中心にいないが故に全体の音を聴くような感覚の方が重要でしょう。
まあ縁の下にいるから、あまり主張はしません。
自分自身は色々なこと言いますが、ベーシストという意識がほとんどないので、こういう人は対象外。
普通は聞かなければ何も言わない可能性が高い(笑)。
ただ、こういう方達の意見を聴くことによって、ある種の「他者の視点」を得ることが出来るようになるはずです。
ただ、バンドならまだしも、ソロの場合どうしたらいいのか、明日以降この点について書きたいと思いますが、テーマとのこの話との関係性が分かりにくくなっているため、明日は一旦この点について、まとめたいと思います。