純邦楽⑩
今日は予告通り、何故「純邦楽」で新作が少ないのか、もう一つの理由について書いていきたいと思います。
書こうにもどう書いたらいいのか分からないからです。
理論的体系がある訳ではないので、書こうにも書けないでしょう。
その点が西洋音楽との最大の違いです。
まあ逆に言うと「これは純邦楽だ」と言ってしまえば誰も否定は出来ないでしょうが(笑)。
ただそこまでして作ったところで、今度は聴き手がいるのか、という問題にぶつかるでしょう。
自分がかって新作を作ろうかと考えたのも、経験値的な部分があるから何となく書ける自信があるからです。
ある意味「パターン」で書く、そんなイメージ。
ただそれが出来るのは経験者だけです。でその層が薄い上に、そこから曲を書く素養がある経験者の数がどれだけいるかと言うと、極めて限られるでしょう。
でも「パターン」で書いても面白くないし。それだと循環コードで曲を作るのとあまり変わらない(決して循環コードを否定している訳ではありません)。
その上、聴き手に届くのは相当大変そうじゃないですか。
曲も決して短くはないし、聴き手がどれだけいるか分からない作品を作るのにそれだけの手間をかける価値があるのか、というと多分ない(涙)。
だから書き手がいない。
そうするとやはり「純邦楽」は徐々に衰退し、なくなってしまうことになるのでしょうか。
明日から、この点について書いていきたいと思います。
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