作曲・編曲155

最近「自分」と「他者」との関係性について書いていますが、そもそも「他者」が必要かどうか、という問題もあるんですよね。

「他者」の存在を前提として書いていましたが、自己完結で構わない、という考え方もあるでしょう。

実際世の中には「他者」を前提としていない音楽の方が多いでしょう。

特にこの国では。

実際はともかく、「同質性」が強調される社会だから、人と違ったことをやることが認められにくい。

「個性」ということも強調されますが、それは一定の枠内の「個性」であって、そこから外れているものは「異物」として見做される。

で、そこそこのマーケットが国内にある、だからそこだけで完結していても産業として成り立ってしまう。

だから似たような音楽が量産される。

「個性」という割に個性的ではない。

世の中なんて矛盾だらけなんだから、目くじらをたてる必要はないのかもしれません。

聴き手も、そしてミュージシャンですら、それで満足している方が多いだろうし、ほぼそういう世界で世の中が成り立っていると言ってもいいのかもしれない。

もしミュージシャンにそういった意識があったとしても、聴き手に伝わるかどうかなんて全く分からない話。

実際自分自身「個性」は見えないように出している。

聴く人が聴けば分かる、でいいと思っているし、分からない人が聴いてもそれなりの水準に聴こえるように作っているつもりです。

では何故自分自身、このようなスタンスで作品を制作しているかについて、明日記事にしてみたいと思います。

関係ないようで、最初の話に関係してくる話だからです。


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blue but green
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