音楽における商業性②

すみません。予定と違う記事を書くことにしました。

やや音楽より幅の広い話になると思います。

「商業」はより簡単に表現すると「商い」です。

で、その「商い」のためには製造者だけではだめで、買い手がいないと成り立たない。

つまり「商い」には「交換」が必要です。

で、その交換が行われるのが市場(マーケット)です。

もちろん、生きている間にマーケットが存在していない場合もあるでしょう。

分かりやすい例を上げると絵画になりますがゴッホなんていい例でしょう。

生きている間に評価する人がいたにせよ、マーケット上の価値は無かった。

ゴッホの「マーケット」が形成されたのはゴッホの死後です。

ただ実際には、逆に生きている間の評価の方が死後の評価より高い例がほとんどです。

完全にこの世界と離れる話になるので詳しくは書きませんが、一般的に商業的価値は時間と共に薄れていくことが標準的です。

しかし亡くなってからの方が評価が高いアーティストの方が「商業的価値」は高い。

人類が滅亡すれば話は変わってきますが、人間生きている時間より、死後の時間の方が長いんですよ。

で、死後の価値の方が高い、ということはそのパターンが当てはまらないことになります。

そして、商業的価値が落ちないということは、生きている時間より死後も作品が残り続けることを意味しています。

そういうアーティストになりたいものですが、こればかりは分かりません。

もうその時には生きてませんから(笑)。

ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。