作曲・編曲151

今日は昨日に引き続き「自分」の「スキ」と他者の評価について考えてみたいと思います。

と思ったのですが、昨日の記事、良く考えるとまずい部分があることに気付きました。

「自分」の「スキ」と他者の「評価」が同じであれば問題ない、という部分です。

これって裏返すと「自分」がないのと一緒だからです。

やはり「自分」と「聴き手」には差異がある、というより、自分と人は違う存在であり、同じ感覚を持つはずがない。

もし同じ感覚で聴かれるのだとすれば、その作品が「安易」な「紋切り型」になっていると考えた方がいい。

一種の「共同体」の中で通用しるものであり、「外部」に開かれていないものなのでしょう。

それは所詮「内輪」の世界のものでしかない、「他者」には通じない音楽。

そう簡単に「他者」と同じ感覚を持てるものではないんですよ。

たぶん「共感」より前に「驚き」とか「とまどい」が先にあって、その後に「共感」が来るのが「外部」に開かれた作品なのだと考えています。

むしろ昨日メインで記述した部分がやはり本来の「作品」の在り方なのかと。

昨日の記事の一部訂正、みたいな記事になってしまいましたが、明日はもう少ししっかりした記事を書きたいと思います。

思っているだけだけど(笑)。

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