作曲・編曲185
今日は昨日書いた内容を元に、もう一度今井美樹さんの「潮騒」について考えたいと思います。
この曲のAメロ、いわゆる「AメロらしいAメロ」とも言えます。
ただ、音程は頭から上下に良く動いている。
おそらくこれがイントロなしにした最大の要因でしょう。
Aメロが平坦だと、イントロがないと曲の世界に引き込みにくい。
イントロは、曲の世界に引き込むための役割を持っている。
その後を予感させ、かつ聴かせるために、ある程度のインパクトが必要ですから。
ただこの曲の場合、Aメロだけでその役割を果たすことが出来るAメロです。
だからイントロは必要ありません。
その現象は堂々巡りになってしまうのかもしれませんが、この曲にBメロがないことに起因している。
Bメロがあると、Aメロの作り方は自由になる。
そこで曲を立たせなくても、Bメロでどうにでもなるから。
で、Aメロをおとなしめに作った方がサビは映えるんですよ。で、BメロがAメロとサビを繋げる役割を担う。
ただそうやってAメロを作ると、曲の頭が弱くなる。
これは致命傷です。特に今は数秒でスキップされる時代ですから、これはもはや完全にアウト。
だからイントロが重要になってくる。曲の頭の弱さをここで潰してしまえばいい訳ですから。
まあ今はむしろAメロから全力投球的な曲が多いですが。そうしないと、そこでスキップされてしまう。
ただそもそもBメロが無ければ、Aメロおとなしめ効果は成り立たない。
だからどうしても「聴かせるAメロ」を作る必要がある。
そうすると、副次的な効果として、イントロなしでも聴ける曲になる。
実際、イントロがない曲、Bメロ始まりはごくわずかです(ない訳ではない)。
大抵サビ、場合によってAメロ始まりです(もちろんCメロはその役割上ありえません)。
もちろん布袋さんがそこまで考えて作っているかどうかは分かりません、というよりおそらくは意識しないで感覚的にやっているのだと思います。
ただイントロがあれば、何も気にせず曲を作ることが出来る(実際にはイントロなしでいける曲にイントロを付けない、という方が正しいのでしょうが)。
そこにイントロの意味があるわけです。人を曲に惹きつけるための存在としての役割。
話はかなり逸れましたが、一応イントロの意味合いまでたどり着いたので、このテーマはこの辺で終わりたいと思います。
明日からはもう少し軽めのテーマの記事にしようと思います。
結構こういうテーマは疲れますからね。