純邦楽⑥
今日は少し脱線しますが、何故自分が狭い純邦楽の世界に染まらなかったについて書きたいと思います。
そもそも何故長唄をやっていたかというと、母親が教えていたからです。
でもそれだけでは話になりませんね。
その前は学校教師だったんですよ。で、小学校教師の免許も持っていたから五線譜が読めた。
これって結構当時は珍しいことだったんですよ。
要は西洋音楽への窓が開かれていた。
そうすると、教師関係の人脈から色々な方との接点もあるので、色々な方が出入りするようになります。
Wikipediaに出ている現代音楽の作曲家の先生も来ていましたし、自分自身実際に西洋音楽について教わってもいました(もうお亡くなりになってます、というかさっき見て知りました)。
旋法中心でしたが(笑)。
ただ、やはり視点が異なる方から色々な話を聴くと、やはり刺激を受けます。
そういう意味では母親には感謝ですね。
決していいことではない、というより残念なことなんだろうけど、やはり「純邦楽」の世界は閉じているので、西洋音楽を媒介しないと変化は表れません。
音楽に限ったことではないんだろうけれど、「内輪」でやっていてもそこから先はないような気がしています。
自分の仲間内で出来ることなんてたかがしれています。
そういう刺激があったからこそ、自分自身、成長することが出来たんでしょうね。
やはり当時学んだこと、今でも役にたってますから。
まあ最近、とある方から「今は何をしているんですか」と聞かれて、「J-POP!」と答えたら唖然とされましたが。
明日からはきちんと純邦楽について書くつもりです。
あくまでも「つもり」ですが(笑)。
ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。