純邦楽⑦
これまで色々と「純邦楽」について書いてきましたが、どちらかというと「環境」についての内容がほとんどです。
あまり理論的なことは書いていません。
これ、純邦楽での最大の問題点です。
「純邦楽」で括ってしまうと、元々ごちゃまぜな音楽ジャンルなので、包括的な理論などある訳もないですし、絞って書くと、「純邦楽」の話ではなくなってしまう。
だから理論的なことは書き辛い、ということがまずあります。
ただそれだけじゃないんですよ。
自分自身純邦楽(長唄)を演奏していましたが、理論的なことを学んだこと、ないですから。
あまり書きようがないんですよ。
演奏者に理論は必要ない、とも言える音楽です(西洋音楽でも理論を知らずに演奏している方も多いですが)。
そもそも教える側に理論的な背景がない。
というか、その音楽自体に理論がない。
純邦楽でも理論を語る方はいますが、後からとってつけたもの。もちろん西洋音楽の理論も所詮「後付け」ですが、その理論を元に音楽制作が行われている、ということもある訳で、純邦楽とはやはり違います。
結局理論なんて必要ないジャンルなんですよ。
まあそもそも音楽理論なんてそんなものと言ってしまえばそれまでですが。
ただ西洋音楽の場合、理論から自分の立ち位置を知る、っという意味があります。
だから理論はそれなりに役に立つ。
逆に純邦楽の場合、新作はほとんどなく、過去の作品を演奏しているだけ。
そこには理論なんて必要じゃないんですよ。
明日はこの問題についてもう少し考えてみたいと思います。
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