DTM107
今日は「DTMer」の負の側面について記事にしたいと思います。
だって癪じゃないですか。「DTMer」持ち上げすぎたら。
DTMの肯定的要素は当然あるにせよ、今まで自分が積み上げたものは何だったのか、と感じる自分が一方にいるんですよ。
もちろんDAWはもはや無くてはならないものであり、これを否定するのはやはりナンセンスです。
ただ、無条件で肯定するものでもないとも感じています。
いまやプラグインで自動作曲機能すらあるアプリがありますよね。
たぶん行き着くところまでいくと、人が作る必要なんて無くなってしまう。
Cubase にしろ、コード提案機能とか付いてますからね。
別に音楽なんて聴いて良ければいいのだから、人が作る必要なんてないのかもしれない。
確かにそうだ。別に人が作る必要なんてないんですよ。
ただ、こういう機能って、「外せない」んですよ。
例えばCubase のコード提案機能で、一番遠いところに流していけば「外れる」でしょう。
ただそれだと多分音楽として成立させるのは難しいと思います。まあ現代音楽なら出来るかもしれないけど。
基本的にこういう機能ってこれまで人間が積み上げたものから成り立っているんだと思います。
ただ、この事を裏返すと、経験則から外れたものは作りにくい、ということです。
音楽理論を知らないのに、音楽理論通りの曲を作ってしまう。
それでいいのか、たぶんそれは違うと感じています。
明日はこの辺を少し掘り下げたいと思います。
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