純邦楽㉑
今日はこれまでのまとめを書こうと思ったのですが、まとまらないので、まとめを書くために少し頭を整理したいと思います。
昨日書いた通り、「純邦楽」が好きでない自分がこういう記事を書くのもどうか、とも思うのですが。
まず最初に言えることですが、「純邦楽」を続けることに全く意味はない、ということです。
やはり変わらなきゃだめなんですよ。というか音楽が活性化していれば、自然に音楽は変化していきます。
また話が飛びますが、日本語にしてもどんどん変わりますよね。使って無かったらほとんど変わらないでしょう。言語だと一定数の話者がいれば、使われるが故にどうしても変化が起きてしまう。
音楽も同じなんですよ。使用者が多ければその分変化しやすくなるし、少なければ変化は起きなくなる。
ただその時その変化した音楽を「純邦楽」と呼べるのか。
おそらく呼べないでしょう。その変化には西洋音楽の影響が必ず出てくるから。
それくらい「西洋音楽」の浸透力は強い時代です。
ただ一方で変わらなければ、ゆっくりと滅亡への道を進むことになるでしょう。
まず「純邦楽」にとって必要なことは、「変化」なのかと。
ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。