やりたい事がわからないのは、今やりたい事をやっていないからかもしれない。
(久々の投稿で、思うままに書き連ねたので、あとあと編集します。)
父親譲りの贅沢病を患っている。母親譲りの”ちょっとした贅沢”病も併発しているから、ハイブリット贅沢病だと思う。日常がつまらないなぁと退屈したとき、贅沢したい欲がむくむくと膨れ上がる。それが家計をちゃんと見るようにしてから、贅沢なんてしていられる状況ではないと再認識したから偉い。ハイブリットなのに。
贅沢欲を満たす最も簡単な方法は、お金を使う事だ。簡単に得られる充足感は手軽に手早く得られる分、失われるのも早い。こんなにたくさんお買い物いちゃったーと喜べるのは一瞬で、帰路について日常に戻った瞬間、パッと消える。
ということは、一つの物事で長期にわたって得ようとした充足感は、長く続くのかな。
でも長期にわたって頑張り続けるのって辛そうじゃない?そしたら楽しむ方法を見つけるのも大切なのかもしれない。
小学生の娘が、Tik Tokかなんかで、スマホをだらだら見続けてしまうのは脳に操られているからだという情報を仕入れてきた。わかる気がする。テレビなんかもそうだよね。利益を産むため、興味を引くように色鮮やかに作られたものがくるくると画面に表示される。人間の脳はゲームのように次々に処理しようと目を離せなくなる。
そうこうしていると、喉が渇いても、トイレに行きたくても、時間が経っていても、長時間同じ姿勢で体が辛くても気づかない。ようやく画面を消せたと思ったら、背中や肩がバッキバキで、喉は渇くしトイレも行きたい、、、なんて事がしょっちゅうだ。
こういう時間の使い方は、贅沢や充足感から私を遠ざけてしまうのかもしれない。
時々、自分の将来について考えて、いつか自分の感性を表現して自由に生きたい、なんて空想を描くのだけれど、今ある現実との乖離が凄まじいのでバカバカしくなっては考えるのをやめる。
自分が今、何をしたいのかが見えていないのに、将来何がしたいかなんて、見えないよね。
ということで、習字を習ったことはないけど、今とても書を嗜みたい気持ちなので書きます。風って書こう。藤井風好きだし、スピ界隈で風の時代と言われているらしいので。