規格化していく
山内マリコさんが『ここは退屈迎えに来て』の中で使っていた"ファスト風土"という言葉がある。マクドナルドやニトリ、イオンなんかの大きなチェーン店がずらずらと立ち並んでいる、地方都市ならどこに行っても同じような変わりばえのしない景色。
地方都市に限らず、世界はどんどんファスト化、規格化して来ているように感じる。津村記久子さんは『やりたいことは二度寝だけ』の中で、二十年前はパソコンもスマートフォンもなかったけれど、鉛筆の芯の硬さは豊富にあって、それぞれの文具店のこだわりを感じた(意訳)と話している。
みんなが同じものをもって、みんなが同じ店に買い物に行って、みんなが同じレジャー行動をする。多様性の時代、個性が大切と言われてはいるけれど、その一方でどんどん人々は均質化している、いや、均質化しているからこそ個性やなんやらが持て囃されているのかもしれない。
人と違うことをすることがイコール良いことではないし、ほんとうは本意ではないのに敢えて他人との差異を作り出そうと頑張るのは痛いなとも思うけど、私は私でこだわりをもって、好きなものを選びたいと思う。
…と、言いつつこの文章をiPhoneで作っている私。
人間もどんどん規格化されていく?代わりがきく存在、誰がどこにいようと変わらない?どこに行っても結局同じでしかないのと変わらないように、ある日突然今の私がいる場所に私以外の誰かがいるようになっても皆きっとすぐに慣れるだろうし、なにか大きなものの部品の一部でしかないように感じる。
満員電車(多分、生粋の都会人からしたら満員ではないのだろうけれど、私にとっては苦痛な人数)に乗りながら、物理的な問題ではなくて、精神的になんとなく厭な感じがしてとても落ち込んでしまう。