勁い心。
持続可能な社会の実現にむけて避けてとおれない物理的なものと、持続可能な社会の実現にむけて避けてとおれない精神的なものと、自由と平和を根底にサステナブルな未来を目指す為のあれこれつらつらと綴ります。
父の命日。兵役に従した父が北陸・金沢の地で終戦を迎え、その後、三浦半島・横須賀の米軍施設に抑留された後、自宅に帰ったのは、それから6ヶ月が経った2月8日だった。
『戦争はどんな理屈をつけたとしても人殺しを肯定する行為なのだから良かろうはずがない。だから、戦争をしようとしたり考えたりすることは、人としての道を外れている。だから私は戦争には強く反対をする。』
従軍について深く語ることのない父であったが、戦争に反対であることは時折々、幼い私や兄妹に言い聞かせていた。
74年前、金沢の海で、横須賀の海で、まだ若かった父はどんな想いで海を眺めていたのだろう。戦後一貫して戦争に反対をしていた父の想いが伝わっているかのように、あれ以来、日本で戦争は起きていない。しかし、世界の彼方此方では様々な紛争が起き、多くの人が死に、多くの難民が生まれている。父が、今の世界の有様を見ていたら一体何と言うだろうか、といろいろ考させられる。
日本国憲法9条1項:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
8月6日広島、8月9日長崎、原爆が投下された日に挟まれた父の命日8月8日は、戦争がこの世からなくなることを切に望んだ父の思いが、私のなかでより強固なものになり、今も「人として忘れずに考え続けねばならぬ大切な何か」を突きつけてくる。私にとっては複雑な、そして忘れられない一日であり、あらためて物事をもう一度、一から考え直す思いにさせられる日でもある。
もしも父が戦争で死んでいたら、私はこの世に生まれていなかった。しかし不肖息子は、今日もたくさんの人に支えられ、今年も父の命日を迎えることができた。時の流れは、簡単に物差しで測れるものではないけれど、今こうしてここにいること、この世に生を与えてくれたこと、それらに深く感謝する。頼りないとは思うが、この国とこの星への責任感も少しだが感じられるようになった。しかし、自分は父のように、本当に「勁い心」を持てているのかといえば、正直、今の自分にはまだ自信がない。
夏、特にビールを好んで飲んだ父は、酔っていい気分になると横須賀で米兵に習ったというギターを聴かせてくれた。幼い頃の私の記憶は、ほろ酔いの父が弾くギターの音色と、割烹着を着た母が瓶ビールの栓を開ける音と、勝手口に置かれた黄色いビールケースと、蚊取り線香の匂い。
普段は缶ビールを飲む私だが、今日は父が好きだった瓶ビールを買って帰ろうと思う。今夜は父と二人、ゆっくり一杯やるつもりだ。
あの夏に乾杯。
いただいたサポートはnoteを「書き続ける」ために使わせていただきます!note読者の皆さんの暖かいご支援が僕の血肉となり、それをもとに見聞を広めることで、やがてnoteに還元されるはず、と勝手に思い込んでいます。ありがとう!