「オムニバス的な旅」 浜松市、沼津市、富士宮市、甲府市、諏訪市、大鹿村
2024年3月の「三泊四日の旅」を一括りにまとめました。達磨山の山行については別記事をご参照ください。
スズキ歴史館(浜松市)
達磨山山行の前日、この旅行の初日は浜松市の「スズキ歴史館」から。スズキ(自動車)の歴史を勉強。トヨタと同じく織機からスタートしているが創業者は元々は大工だったというのが興味深い。スズキのクルマで、我々の世代でインパクトがあったのは軽自動車のアルト。コマーシャルのキャッチフレーズでもあった「47万円」は衝撃的で若者・初心者・主婦の間で一気に拡がった。余談だが同じ時期(2年ほど後)にホンダのシティが乗用車(排気量1200cc)でありながら80万円前後で販売され、こちらも人気を博していた。スズキ歴史館にJB23ジムニーの情報があればと思ったが、実車さえ展示されていなかったのはなぜ?浜松市には同じ自動車メーカーのホンダの創設者、本田宗一郎のものづくり伝承館というのがあるが、これは次の機会に訪れたい。もうひとつ、浜松市の名物になりつつある「さわやか」のハンバーグ。前々日に創業者が亡くなり前日は全店臨時休業だったらしい。住宅地に近い店舗に出かけたが平日にもかかわらず開店前から人の列。諦めた。
達磨山(沼津市)
下の記事をご参照ください。
朝霧高原(富士宮市)
旅行二日目の夜は「道の駅朝霧高原」で過ごした。標高が900m近くあり、達磨山山頂とは100m違わない高地にあるが、夜は冷え込みも弱く大いに助かった。
甲府城跡(甲府市)
朝霧高原で一夜を過ごした後、思い立って甲府城跡へ向かう。甲斐の国と言えば武田信玄。その武田信玄が築城した…と思いきや、築城したのは豊臣秀吉、以降徳川家康の城となり幕末まで続いた。
本丸天守台の展望台からは眼下に甲府の町並みが拡がり、遠くは南アルプス、富士山、奥秩父の山々が見える。東西南北に案内板の山座同定があるが、これが実にアバウトで悩ましかった。富士山は雲に隠れ確認できず。城内(公園内)は庭園、内堀に至るまで美しく整備されていて、実に気持ち良く散策できた。
その後、北杜市に移動。ランチを楽しみにしていた国道沿いの食堂が休業日、買い物を予定していたサントリーの白州蒸留所は、予約外はショップと言えども入店を受付けていないということで門前払い。散々であった。しゃーないのでそのまま国道20号を諏訪に向かう。
諏訪市原田泰治美術館(諏訪市)
久しぶりに諏訪南インターチェンジ前のハルピンラーメンに立ち寄りランチ。諏訪市内に移動して諏訪湖畔にある諏訪市原田泰治美術館を訪問。この美術館は画家原田泰治氏が生前に建立、晩年に出身地でもある諏訪市に寄付をしたもの。原田宇治が描く絵に登場する人物には「目」「鼻」「口」が無い。原田泰治独特の画風。素朴な原風景が心に響いた。
ホテルに入る前に諏訪市ではよく利用するガソリンスタンドで二度目の給油。アプリに登録してあるので若干お値打ちではあるが、長野県内のガソリンは高い。
マルス駒ヶ岳蒸留所(長野県宮田村)
上諏訪のビジネスホテルで一泊して、帰路に「伊那路」を選んだ際にはちょくちょく立ち寄っているマルス駒ヶ岳蒸留所に訪問。工場名が「信州蒸留所」から「駒ケ岳蒸留所」に変わっていた。今回はお世話になっている知人が近々喜寿を迎えるため、お祝いの品を購入。甲斐駒ヶ岳(白州)の失態を木曽駒ケ岳で取り戻す(笑)
大鹿村騒動記(長野県大鹿村)
思い立ってほぼ十年ぶりに大鹿村を訪問した。中川村から続く長野県道59号は離合困難な場所を幾つか残すものの、トンネル化や拡幅工事が進み走りやすくなっている。ダンプカーの往来が激しいがマナーは良い。地元よりも他府県ナンバーのダンプカーが多い。だがしかし、とにかく土埃が酷い。リニア新幹線の工事関係によるものなのか、砂利採取などの産業によるものかは判らないが県道59号は土埃にまみれている。折からの強風も加勢して村全体が埃にまみれているように思えた。人口が1,000人に満たない小さな村だ。リニア新幹線という超大型の公共工事の受け入れは致し方ないところとは思うが、あの汚れ具合は残念だ。ウェストン顕彰碑の向こうに青空と赤石岳の白い稜線が見えたのが救いだった。予てから「大鹿歌舞伎」を観劇したいと思っているがいつになるのかな…。お昼時だったので「道の駅歌舞伎の里大鹿」のレストランでで山賊焼き定食をチョイス。ボリュームがあって価格もリーズナブル。美味しく頂いた。
旅行日:2024年3月15日・スズキ歴史館
2024年3月16日・達磨山
2024年3月16日・道の駅朝霧高原
2024年3月17日・甲府城跡、諏訪市原田泰治美術館
2024年3月18日・マルス駒ヶ根蒸留所・大鹿村
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