放浪文化人類学者のはじまりはじまり①ートルコでのイスラム調査の開始
大学院をでてすぐ調査にでた。
いろいろあってメンタルを非常に病んでいた(オフレコの博士号もぎとり時の黒歴史)。
まあそんなときは食って寝る、食って寝る、そのくりかえしよ。
あと海外にすっとんでってたのもよかったな。
エジプトのカイロの日本学術振興会研究連絡センターには、イスラム関連の日本語書籍の蔵書がけっこうあったので、借りてきて安宿のドミトリーで読みまくった。
日本にいたら選ばなかったような本も読んだ。そんななかで「ははぁ、イスラムってのはこのへんが共通合意でいいのかな」というのがみえてきてよかった。
イスラムは「規範」
イスラムは「絶対帰依」
そこを外すひとはまぁいないかな、と。
よし、イスラム教徒というのは『コーラン』を大事にしているのだな。
では、とばかりに岩波の日本語翻訳『コーラン』を小脇に、わたしはカイロの世帯にのりこみ…
いろいろあってカイロは離れた。イスラム研究をするならカイロ、という思いがあってここまで来たわけなのだが、カイロにいるウイグル族はアズハル大学(アラビア語圏では著名なイスラム大学)の留学生しかおらず(エジプト政府がかれらに就労ビザを発行していない)、ここのウイグル族はイスラムに没頭する以外にやることがない。わたしもそろって勉強に参加してみたのだが、黒い布におおわれてフスハー(コーランのアラビア語)を読むのに息がつまりそうだった。そして、こんな偏ったひとたちを対象にイスラムをみるのは不適当なんじゃないだろうかと思いはじめた(濃すぎるし、生活に即していない)。何よりこの黒い布ばかりの場所から逃げ出したかった。逃げ出したいなどとおもっていて、調査が成立するはずがない。
イスラム、難しい、どうかトルコではもう少し息をついてすごせる場所で、できたら、と飛行機の窓から陽光が燦々とあたる翼をみていたのを覚えている。
トルコはイスタンブルで、薬草屋の経営をしているウイグル族の民族医の家に居候させてもらっていたのだが(移住8年目、国籍はトルコに変更済み、カイロのウイグル族による紹介)、その朝食の席でわたしは、わたし自身がエジプトから買ってきた粉ミルクをだしてみた(朝食の準備の手伝いをしていた)。
すると食卓で「これは何だ」といわれる。「エジプトで買った粉ミルクです(能天気)」というと、「これはムスリムが食べていいものなのか」と聞かれた。
ん?
『岩波イスラーム辞典』
「ハラール食品」!
え、エジプトってイスラムの国じゃなかったっけ。ここはトルコだから「その地域で生産」(トルコ産)じゃなくちゃだめ?日本からみてエジプトはアラビア文字ののたくる「ザ・イスラム」の国である。イスラム圏で生産されたものなら大丈夫でしょ?そういう安心感がわたしにはあった。確かにあった。え、これだめなの?
いわれてみれば、エジプトにはキリスト教徒だっているけれど、でもほとんどがイスラム教徒。エジプトのその辺で買ったものがイスラムでゆるされた食べ物じゃないなんてことある?
う~ん…と思いつつ、わたしはさらにやらかす。
朝食のサラダにコショウをかけようと思ったらみあたらなかったので、飛行機から後生大事にもってきた機内食の塩コショウをとりだした(貧乏性)。航空会社はトルコ航空!今度は大丈夫だろう。
「うちにはコショウはなかったはずだけど…」
「トルコ航空の機内食のものをつかってみました!」(えへへ)
「わたしたちはそんなものがムスリムの食べ物だなんて信じない」
うぇ?
塩コショウってムスリム非ムスリム問われるの???
問われるのって…肉じゃないの?
ていうかトルコに住んでてトルコ航空ってだめな会社?
ていうかこのひとたちにとって、トルコっていう国がそもそもイスラム的にだめってこと???
そこのうちのお母さんと夜テレビの前でだべっていたときに、ソーセージのCMがうつり、お母さんが「これはムスリムの食べ物じゃない。めちゃくちゃな肉をつかっているからだ。」という。誰からそれを聞いたの?と聞くと「人から聞いた」という。
トルコのテレビで宣伝されているソーセージがイスラムの食べ物じゃないってことある???この人たちは、中国からトルコに来たとき「ああイスラムの国に来れた。もう中国みたいにあれこれ選びながら暮らさなくていいんだ。」って安心しただろうと思ってわたしはこっちまで来たんだけど…。
わたしのイスラムに対する思い込みが次々とくつがえされ、
『岩波イスラーム辞典』ともあまりにも違うじゃないか、と思ったわたしは
おかしい、このうちのひとたち。
と思うようになっていった。
なんでこのうちの人はトルコもエジプトも信用していないで生活しているの?
そのうえなんでこのうちの人はそういう超個人的な思い込み(と思われる)を「イスラムでは」「ムスリムの」とかいういいかたで話しをするの?
そんなこといっちゃったら近隣のトルコ人と喧嘩になったりしない?
あ~貴重な調査時間無駄にした、早く移動しないと、ああ~この家で目にしたことは…もうメモしなくてもいいや…と思っていたぐらいわたしはなにひとつわかっていなかった(博士号とってもこんなもんです)。
けれどそれはそのどちらも、その後つづく調査でずっと続くひとつの特徴だったのである。