「住みたい場所」についてーヴァンパイア・ホーム訪問記
「住みたい場所」というお題を聞いたときに、考えた。
マンションも戸建てもそれなりに利点と欠点がある。
庭の手入れをしなくちゃいけなくなると、松は困るな(近所にやたら多い「見越しの松」w手入れが大変)、
防犯は戸建ての場合は人感センサーかな
小窓に鉄格子のオプションはマストやな(散歩しながらみている)、
マンションでも不審者や居住者とのトラブルや防犯対策はいるでしょう、とか
都会も田舎もよしわるし(スーパーはどこだ)、
やっぱり産直野菜が手にはいるところがいいな、
しかしずーっと住むとなると…(いやいやその前に定職ry…)
あとは固定資産税…
町内会とか自治会とか…
あと大学図書館は近くになくちゃ絶対駄目。
通勤もクロスバイクで20~30分くらいまでにはしてほしいなぁ。
とかなんとか考えて、
ああもうゲル(モンゴルの移動式住居)が一番ええがなとか思って、なにも考えることができずにいた。
しかし、あった。
住みたいと思っていた場所が。
ブラン城(ルーマニア)。
なにいってんだこら。
でもあそこ、住みたかったんですよ。
行ったのはいつだったか緑萌える春か初夏だったような気がする。上階の部屋からは、どこまでもうねってつづく緑の草原と、動物の姿が見えたような気がする。
ここにつく前には映画「ドラキュラ」(主演クリストファー・リー)も事前勉強としてちゃんと観たし(立派な歯茎やねぇ)、
ヴラド・ツェペシュ(ドラキュラのモデル氏、オスマントルコと戦う)の知識なんかもしいれていっていたのだが。
光あふれる草原、木が波のようにうねるむこうからは、気持ちいい風がぶんぶんふいていて、雰囲気のあやしげな部屋の隅の暗がりなどは、わたしはみてはこなかった。
小さな部屋がたくさんあって、どこの窓から外をみても、ここちよい風と緑しかない。
半外の中庭に面した廊下にも座れるところがあったりして、ここで本を読んだらどんなに気持ちいいだろう。小さくまとまっていて(トルコのドルマバフチェ宮殿なんか広すぎてしぬわと思った)掃除が大変すぎるということもなさそう、木彫りの調度とイスラムチックな優美な彩色のほどこされた陶器の暖房設備、木の梁と木の天井、木の床、
冬もあたたかくすごせそうだった。
家賃とか水回りとか大学図書館とか通勤時間とか防犯とか採光とか、一生みつづけるのがこの風景でいいのかとか、そういうことを考えだすと、どこが「いい」と思っても、そう思い込んでるだけじゃない?とも思えてしまい、決めてに欠けるところがある。
というのは、最近断捨離をしていたのだが、ものというのは所有することで、逆にそれに「所有」されるものだということを少し感じていたところがあるのだ。
子どもの頃住んでいた家は、郊外の戸建てだったけど、あそこにいるときは、あの空間でえられる最大の幸せを追及することになんの疑問をもっていなかった。京都のアパートに住んだ時も、ここで必死に、という思いは同じだった。しかしためこんだ物を処分して引っ越しをしたとき、あの部屋にしがみつきすぎていた自分にきづいた。引っ越しって、していいんだ。建物のすきまからみえる小さな青空があるからわたしは幸せなどと自分にいいきかせなくとも、こんなに広い空をみることもわたしにはできたのだ。
あの空間での最善を、最善を、と追及していきるのが本当に最善なのか、と思ういまがあるからこそ、いまいる賃貸の団地の上階に住んだりすることをとてもありがたく思っている。
というわけで、いまわたしは団地に住んでいるのだが、ベランダからみえる山々とそこからわたってくる風を浴びていると(ちょっと風景的に前の棟がじゃまというのはある)
ますます家など買う気にはなれない(その前に定ry)。
だから、具体的に考え出すと、いま(賃貸)のままでいまのところ充分しあわせ、ということになる。
ただ窓から我をわすれるほどの緑と光の奔流をみて、そこからわたってくる風のなかで、本を読みたかった(地域の図書館も近くにあってくれないと困る、ということになるのだが)。
ブラン城が買えるかとか(買えないっしょw)あの固定資産税がどうとかあそこの防犯をどうするかとか、そんなことは考えたくもないのがわたしの本音なのだと思う。
どこかで本を読みながら緑がみえれば、それがゲルでもしあわせで、
つまりわたしは今のままでも充分しあわせなのだ(その前に定ry)。