2024年4月15日
2024/04/15 13:14
ポツポツと外で音がしていることに気がついたとき、時計の針は長針短針が仲良く12を指していた。もう少し仕事の続きをして、昼食の準備に取りかかった頃には雨樋を跳ねる雨の音がしっかりと聞こえていた。
昨日は遠征先から帰る運転で体力を使ってしまい、夜の予定は無断でキャンセルしてしまった。申し訳ない。
体力について考える事が最近増えたせいだろうか、人と話をしているとその話題になることが増えたような気がする。この場合、身体に関する体力の話題となることが多いが私の考える体力とは、身体に関する事では無いことが多い。
例えば、私はよく本を読む。未だに紙の本が好きでよく持ち歩いては読んでいるし家でも読んでいる。高校生の頃と比べると、一度に読める量は少なくなった。これは時間が無いという問題も少しはあるだろうが、「本を読む体力」が徐々に減っている事が関係していると思う。大作家池波正太郎はあるエッセイの中でそれについて言及していた。そして、大作は若いときの体力が充分にあるうちに読んでおきなさい。これは大人になってからでは読めない、とまで書かれていた。本当にその通りだ。
同じように、映画を観る体力や音楽を聴く体力、文章を書く体力もあると思う。
ここまで体力と表現してきたのには意味がある。それは、日常のトレーニングである程度維持ができると私は考えているからだ。
この15分エッセイも、決められた時間の中で文章を書くというトレーニングになっている。当初の目的ではないが、結果として。
日常的によく歩く人に歩く力が備わるように、絶え間なく日々を過ごす中での行為がトレーニングになっている。
生活を、大きく言えば人生を変えるために必要なのは決意でなく習慣だ。
この言葉には感銘を受けた。どこで耳にしたのか、はたまた目にしたのか分からないが私の心にちゃんと残っている。
どんな人生を歩みたいかよく考える。これはその生涯を閉じるまで何度も考えるだろう。
そんな時、大きな決意よりも小さな習慣に目を向けて生きていきたい。
2024/04/15 13:29
時間が来たので今日のトレーニングはここまで。
そんなつもりは無いのだがね。