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車も電話もないけれど、世界なんか怖くなかった

バブルっていったいどんな時代だったのか。バブル世代にちょっと遅れてきた自分(社会人になったのが1991年)にそれを語る資格があるのかはわからない。けれど1990年末の大納会(12月29日)に3万8915円87銭の史上最高値(当時)を付けた日経平均株価は、翌91年の年明けから急坂を転げ落ちるように転落(同語反復)し、30年かけて(それは実際あっという間に、といっていい)二流の国になっていく。その落差を肌で知っているという点では、バブルの片鱗を知る者という自己認識はあながち違ってはいまい。

ただ実際のところ、株価が下がったからといって社会は、そしてその空気は、そんなに急転するようなものではない。真夏に熱せられた海水が9月になってもウエットスーツで潜れるくらいの温かな水温であるように、「空気」は時間をかけて冷めていく。日本の90年代においてその転機は、1995年の阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件を経て、97年の山一證券破綻で底なしの暗黒に真っ逆さまに転げ落ちていく頃からだったろう。それまでは来る来ると言って来ない狼少年に呆れて相手にしなくなる人々のように、のんべんだらりと好景気の余韻に首まで浸っていたのだ、ニッポン人は。

そんな宴の後の91年9月30日、ユニコーンは5枚目となるアルバム「ヒゲとボイン」をリリースする。このアルバムについての自分の考えは別稿にまとめて書いたが、ここではその中の1曲、収録順で言うと尻から2番目の14曲目のこの曲について考える。「車も電話もないけれど」。1970年代の貧乏学生についての曲ではもちろんない。出だしの歌詞はこうだ。

「遠い国から大きな黒船に乗ってきた/便利なものと/危ないものと/僕のお嫁さん」

まるでふざけているようだがマジだ。文明開化の日本を舞台に曲をつくるバンドブーム出身の人気ロックバンド。ふざけているようだがこれはマジだ。青い空をウミネコが舞い飛ぶ港に着いた黒船を、ヤジウマ群衆の中で下から見上げ、呆気にとられつつも、身体の奥底から湧いてくる予感に表情を輝かせる若き志士、と思しき若者が本曲の主人公である(適当だが、そんなところだろう)。奥田民生による歌詞はこう続く。

「一目で僕はその場に釘付けさ/動けない/瞳の色と髪の毛の色/見たことない色」

どういう立場でなのかはわからないが、黒船には金髪碧眼の美女が乗り込んでいて、青年の視線は一瞬にして彼女にフォーカス。まさに文字通り一目惚れ――。マンガのようなシチュエーションだが、まあ、全くありえないというほどのことでもないだろう。この曲が届けられた1991年当時、明治維新はすでに100年以上前の歴史上の出来事だったが、まあそういう若者もきっとおるにはおったろう、くらいの感じでこの曲を聴いていた。若いって、そんなもんだったりするよね。セカイ系、なんて冷笑的な言葉もなかった時代、リスナーは今よりもっと素直だった。

曲はサビ前に入っていく。

「どうすればいいの/船の上の彼女に/僕の思いは/僕らの言葉で伝わるの?」

僕らの言葉で伝わるの。すばらしい! コミュニケーションの不安と意気込みを突いているようなフレーズ。曲はドラムが盛り上げて高揚感満点のメジャーコードのサビへなだれ込む。

「僕に君の話を聞かせてくれよ/僕の隣で全部教えてくれよ/世界のいろんな人たちの/キスの仕方はどう違うの」

古臭くて湿っぽくて因習的な封建時代は、もう終わりにしよう。ニッポンはこれから世界に開かれて変わる。それとともに自分も変わる。サビは続く。

「みんなはドタドタ慌てているけれど/怖がる人も中にはいるけれど/僕の彼女はあそこにいる/長いスカートが風に揺れた」

そうなのだ、前節は一瞬頭をよぎった妄想なのだ。コミュニケーションはまだ始まってもいない。けど予感だけは若者の中でどんどん膨れ上がる。

この曲が収録されたアルバム「ヒゲとボイン」の中盤の数曲でバンドはやるせないとも言える倦怠を描いてみせたが、その同じアルバムでやけっぱちとも感じられるような文明開化の時代の挿話を大真面目にふざけて描いてみせるくらいにはまだ「世界」と日本の距離は遠く、遠いからこそいつも意識せざるを得ない存在として、表現者の中に、そして聴き手の中にも「世界」があった。「世界」はいつも憧れであり、それだけにコンプレックスを感じさせる存在でもあった。それを乗り越えて世界と並び立つことは日本人の夢でもあった。

大砲の音が響くド派手な間奏の後、曲はこう続く。

「どうすればいいの/こっちをみてる彼女に/しょうがない笑ったら/不思議な訛りのコンニチハ」

繋がることをはなから諦めなくてもよかった時代。そして再びのサビ。

「2人が歩けば誰もが振り返る/僕らは笑顔で歴史を塗り替える/文明開化のこの国は/君と僕の手のひらの上」
「まだまだ車も電話もないけれど/少しずつしか変わりはしないけれど/みんなの前でキスをしたら/そこらの枯れ木に花が咲いた」

全部書いちゃった。記憶だけで再現したけどたぶんほとんど間違ってない(表記の違いはあるだろうけど)。青雲の志、みたいな歌詞。当時はユニコーンらしいおふざけだと思って聴いていた節があるけれど、暗くギスギスした30年後の日本で聴くならば、直接にそして行間に匂い立つポジティブさは覆い隠しようもない。目指すべき、乗り越えるべき何かがあった時代の日本のバンドの輝かしい到達点の一曲だ。

「世界」への憧れとコンプレックス(劣等感)。90年代前半の邦楽ポップス・邦楽ロック(JPOPという呼称が生まれるのはもう少し後)には、憧れとコンプレックスをバネに「世界」を見据えようという前向きなポジションをとる曲が少なくない。90年代後半になるとそんな姿勢はぱったり消えて、ひたすら内にこもって外を見ない、見ざる言わざる聞かざるな「世界」の消失が始まるのだけど、それはまた別の場で。

「車も電話もないけれど」と同工異曲というか、同じ皮膚感覚からつくられたと自分が思っている曲がある。森高千里「テリヤキ・バーガー」(森高千里作詞、斉藤英夫作曲)。1990年10月発売の彼女の5枚目のアルバム「古今東西」収録曲だ。「車も電話も」より1年早いのがポイント。でもほらやっぱり、アルバムタイトルからして目線が「外」を向いてるよ。

森高の直近のツアー「今度はモアベターよ!」(2023〜24年)では、この曲は中盤に演奏され会場を一気に盛り上げる役目を背負った。負けず嫌いで人と違ったことをやりたい森高千里というアーティストとそのファンにとって、この曲はアンセムとでもいうべき存在だ。音楽バカの男の子にうざ絡みする女の子、という体裁を取っているが、そんなシチュエーション設定はこの際どうでもいい。一つだけ言うと最初のヴァースでこんな歌詞が出てくる。

「世界史くらいやらなきゃ後で恥かくわ」

実際に恥をかくかはともかく、(自分の、社会の、日本の)外を見なくちゃ、という作詞者モリタカの意識が伺える。

サビは各種コンプレックスを「関係ない!」の一言で完膚なきまでに蹴散らす。蹴散らされるのはたとえばコイツらだ。

・アメリカ、イギリス
・英語も何語も
・ロックもヘチマも

みんな「関係ないわよ!」の一言。さすが「非実力派宣言」なる曲を書いた森高千里ならではというか、遠慮なんかしないでとにかく蹴っ飛ばす。挙げ句、こうも歌い募る。

「男も女も/関係ないわよ!」

性差、いまどきの言葉で言えばジェンダーなんて関係ない、と30年以上前に歌っているのだ。いや、当時めっちゃ関係あったじゃん、男女雇用機会均等法なんて法律が必要となるくらいには。男社会に「もの申す」だけでなく、実際に行動して最終的にエンタメにまで昇華させてしまうのはモリタカの常道だが、そんな彼女のテーマみたいな曲だ。別名「森高千里のテーマ」(そんなこと誰も言ってないけど、オレが言う)

世界に対するコンプレックス、英語が苦手というニッポン人特有のコンプレックス、洋ロックに対するコンプレックス。これらはそれぞれ「外」を常に見て、意識して、自分の劣位を認識しているからこそ生まれるコンプレックス(複合観念)だ。それを強がって「関係ない!」と切って捨てることで、逆接的にめっちゃコミットするのがこの曲の戦い方だ。内向していたら絶対につくることができない詞であり、ステージパフォーマンスである。

なんかで読んだ気がするのだけど、森高はいわゆる「和魂洋才」的な感覚でこのテリヤキバーガーをタイトルに起用したそうな。そしてこの曲が収録された「古今東西」の前作は「森高ランド」、次作は「ザ・森高」。強烈な自意識、揺るぎない自己認識、自己主張の勁さあってこその「外を見る目」ということなのだろう。紛れなく、クリエイターとパフォーマーを兼ね備えた「アーティスト」なのだこの人は。

「車も電話もないけれど」「テリヤキ・バーガー」をいま改めて聴いてみて、ハタチそこそこだった自分が50代半ばに至るという時間の長さ以上に、私たち日本人は遠く遥か遠いところまで来てしまったように思う。それがどういう帰結になるのかはいずれ世界史のトピックとして位置づけられることになるのだろうけれど、もうこういう方向感の、こういう空気感の曲は日本からは生まれない気もする。国家なんて関係ない? ハイ。ちなみにだが、食べ物としてのテリヤキバーガーは1972年、「日本人の味覚に合う『和風味』を」とモスバーガーが開発した商品だという。でも売れなかったんだって。お醤油味が鈍臭く感じられたのだろうか。当時は味覚も「外を向いていた」のかもしれない。

2024/08/13


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