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【森高千里】レッツ・ゴォーゴォー!ツアー 横浜初日 カワイイのに変な人、は無敵

2023年6月から2024年7月にかけて全国ツアーを敢行した森高千里55歳、(たった)3ヶ月のインターバルでZeppツアー全国6都市12公演に漕ぎ出すの巻の初日でした。KTZeppYokohamaは平日ながら完売満席。場内はツアー初日らしい祝祭感もさることながら、開演前からちょっと胸アツな歓声、そして拍手で、ここ最近のモリタカライブの好調ぶりの続きを予感させる空気。あれはSEの切れ目で間髪入れず口火を切った1階たぶん上手にいらした古参ファンの方の功績。さざ波が見る間に大波になるまで何秒かかっただろう。あれできょうのライブの方向性は決まった。

セットリストは序盤から攻めまくりな印象で、ライブハウスツアーらしく4曲目まで畳み掛けていく。ギター鈴木マリアさんもドラムス坂本龍一さんも存分に弾きまくり叩きまくりで、ホワイトクイーンのバンドらしさが存分に発揮されていた。こういうのがいい、ほんと。あのバンドはほんとうに、ライブハウスがよく合う(ホールが合わないと言っているわけではもちろんない)。OPは前ツアーで好評だったあれ。緩やかな出だしだった前ツアーとは一転、なんというか背筋が伸びてピリッと締まる。モアベターがモアベターだったのは冒頭がちょっと抜くような細野さん曲で2曲目のイントロでキリキリネジを巻いていくその幅の広さがあったからだけど、客席との距離が近い今回のようなツアーでは、ストレートをどんどん投げ込まれるのが良き。

とても印象的だったのが、中盤で披露されたあの曲。私は彼女のライブで初めてあの曲を聴いたと思うんだけど、なんというか、渾身の「怒り」。鬼気迫る。なぜこの曲をこのタイミングでセットに入れたのか。歌詞を追う必要はないと思う。歌詞の中身よりも、つまり綴られた言葉よりも、ステージでお客を前にして、とにかく怒りを込めて歌いたいんだ、そんな心境なんだきっと、と思った。

諦念と冷笑と無関心がはびこるいまの世の中で、ちゃんと怒りを形にできるのはアーティストの特権だ。なんだけど、それをやらない人ばっかりになってしまった。そもそも怒りはどんな形でも表出できる。それこそコミックソングの体裁でだって。でも彼女は躊躇せずにむき出しでそれをやった(歌詞をみてノベルティーソングと思う人はいるかもしれない。でもかきょうのステージを観たらそうは思わないだろう)。これはライブの最後の「私にはライブしかないんだよ?」の発言にもたぶんつながる。

でもさ、その後のMCでふう、と一息ついてからは、まるで何ごともなかったように涼しい顔で食べ物とかの話を始めるのもまたモリタカなのだ。ほんと、変な人。そこにめちゃ惹かれる。自分は昔から変な人に惹かれるたちなのだけれど、変なのにパブリックイメージとしてカワイイ、というのはたぶん無敵だろう。

作詞、演奏ときには作曲とクリエイティブをやるからその「変さ」が生きる。ただのアイドルだったら「変さ」はおそらくマイナスにしか働かないだろう。最近は森高千里のことを、シャレではなくて本当に「変な歌をつくって歌う人」と思っているような意見も散見されるのだけれど(まじ笑)、変な歌をつくるのは、凡庸な歌をつくるより、当たり前だけど難しくて知性が必要だ。森高千里はほんと、変な歌をつくる変な人で、かつ頭のいい人なのだ。頭がいいっていうのはつまり、俯瞰して物事をみることができる人。アルゴリズムに支配されたいま、やってみればそれがどんなに難しいことか。

そういえば梅雨明けの頃のフェス出演のあと何をしていたのか、についてMCで森高さんはこんなことを言っていた。「特に何かしてきたというわけではないんですよ、次のツアーはどうしようかとスタッフと話したりで」(不正確です)。新曲を出さない森高千里にとって、ライブの選曲をどうするかは表現の主軸になる。いま自分は何を言いたいのか、というアーティストのクリエイティブを、選曲が担うわけだ。曲を選び、セットリストのどこに配置するのか。それによって「言いたいこと」を言う。本編最後くらいが定位置だった「テリヤキ・バーガー」を中盤にもって来た前ツアーとかは象徴的だ。

そういう意味では、序盤で演奏されたあの曲なんか聴かせどころだ。キラキラ素敵なアレンジの、素敵な(そして懐かしい)MVでしか観たことがなかったけど、きょうとうとう聴けたあの曲。鈴木マリアさん、高橋諭一さんが前に出てきて3人で奏でるあの曲。その絵面がそもそも私はモリタカライブで未見だったのだけれど(過去にあったかどうか古参の人に訊いてみたい)、「この街」でも「ロックはダメなのストレートよ」でも「モアベター」でもやっていなかった、今までやっていなかったあのスタイルを、たった3ヶ月間で思いついて形にする。それって単に勢いなのかもしれないけれど、勢いを裏付けする自信がなければできないことだと思った。

それにしてもマリアさんが弾いたあのリッケンバッカーは、これまで誰がメンテしていたのかなあ。森高さん本人だったらもう一生ついていきます。きょう、左手の小指を怪我したといって有名曲の間奏のリコーダーを吹かなかったけれど(そんなのライブでは自分は初めての体験)、でも「何で?」と客席に訊かれて「言いたくない」って返していたけれど、もしやギターのメンテをしていて太弦が跳ねてケガしたとか。妄想しすぎだけど、ほんときょうのセットリストは伏線回収だらけっぽくて、来年のツアーでまた新しいモリタカが提示されそうな予感。

そういえば、本編ラス近くのあの盛り上がり鉄板曲とか、これまでのツアーを踏襲した選曲もあったきょうのツアー初日だけれど、単に踏襲しているわけではないことはアレンジでわかる。例えばビールで乾杯のあの曲。あ、また来ましたねとなりかねないところにあのギターの革新。詳細は省くにしても、どう聴いていいのかちょっとわからないところもあるので、あしたもう1回聴いて確かめたい。

酔っ払ってきたので先を急ぐと、このところ定番だったオーラスのあの曲が差し替わったのも「おお!」と思った。中盤のあの怒りの1曲とリンクしていると思う。主張をやめない森高千里、進化を止めないホワイトクイーン。その最新形をいつも、ずっと、休止期間なく目撃できる私たちは、いったいなんて幸せなんだろう。

ツアータイトルが変だったり(慣れちゃうけれどたぶんすごく変なのが続いてある)、あとそれほど音楽が好きじゃない人にとって「なにこれ変な歌詞」と思わされるような曲を書いたり。昔も今も一筋縄ではいかないのがモリタカだ。たとえばミスチルの最近のツアータイトルは「Miss You」だ。ストーンズ由来。それが悪いと言うつもりは毛頭ないけれど、ストーンズ(のファン)をからかうような曲もつくっているのが森高で、それが「ロックはダメなのストレートよ」という昨年のZeppツアーのタイトルにもつながっている。

森高千里が立っているのは、バジェット含めて、マイペースに自分の感じてることを出せる環境なのだ。そこはすごく貴重なのだと思う。彼女のような「自由な」アーティストがこれからも長く活動を続けられるような世の中であってほしいと切に思う。ご本人は、それがそうならないかもしれない危機感を感じているのかもしれない。だから今日のツアーで「怒る」曲を選んだのかもしれないよ。全く食えない、変な、でもすっごく真摯なアーティストなんだよね。

2024/10/02

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