【森高千里】レッツ・ゴォーゴォー!ツアー 東京初日 目に入る全てが
10月から横浜、札幌、名古屋、福岡と主要都市をたどってきた森高千里Zeppサーキット「レッツ・ゴォーゴォー!ツアー」もいよいよ後半戦。東京、大阪それぞれ2日間ずつを残すのみ、の東京初日。東京に凱旋の巻、だ。お台場のZeppDiverCityはライブハウスといっても着席で1100人を超える会場なので入場待ちの列も長く、晴れ女モリタカにここは感謝するしかない(名古屋2日目の開演前は降ったそうだけど)。
お台場のZeppといえば懐かしのZeppTokyo。観覧車の下から暗闇に入っていくあの箱は、ライブハウスらしいドキドキがあってよかったなあ、と遠い目。Diverはショッピングセンターの中なので、ちょっとハレとケの「ケ」感がぬぐえない。あの貧乏くさいフードコートを抜けて行くアプローチがなんか嫌なのよ。そこんとこ、三井不動産には猛省を促したい。
まそれはともかく、これまでの会場では感じなかったけれど、東京で平日ということもあってか、会社帰りの殿方のお姿がたくさんで、ビシッとスーツを着こなしたエグゼクティブなお方らもおられて、そんな役職めいた方々が楽しそうにお話をしながら入場列に並んでいるのはなんかほほえましかった。私は時間に自由が利く職種なので、職場から一旦帰宅して着替えてから向かったのだけど、そうだよなー、みんな普段は働いてるんだよなー。ツアーTはだから少なめ。これまでの地方公演は、きっぱり諦めて有給取って臨んだ同志が多かったのだろう。私も最終のZeppNambaはそうすることにした。
さて、DiverCityはこれまでの小さめでリアルな箱感のある札幌や、もっと小さい福岡(行ってないけど)の1.5倍(?)くらいのキャパなので、一体感はどうなのかな~と思っていたけれど、森高さん本人はそこは気にしていないように見えた。というか気にならないようだった。最後の方「わー手がいっぱい」って喜んでいたよね。
体調は、そりゃまぁ回数やっていればいろいろあるだろう、、、と前半は少しだけ感じた(お水飲んで〜ってずっと思ってた。汗かくからだろうか、あんまり飲まないよね)けれど、後半はぐいぐい上げてきて、最後は予想以上の盛り上がりに。せっかくなので明日はサインボール投げてほしい。シューティングが入るそうなのでほんとに投げるかも。ハッピー・クリスマス!
ということでいくつか曲の差し替えがあった。冬セトリというやつだ。詳細は省くが、新しく加わったあの曲の歌詞、これまで何度もライブで聴いてはいたけれど、なぜだかきょうはいつも以上に詞がググッと気持ちに入ってきた。コートの襟を立てる曲。これまでは、冬だ、とあまり意識しないで聴いていたけど、改めて聴くと、ちゃんと、冬の午後、って歌ってる。
いわゆるサビの部分の歌詞の単語の選び方は、すごいよなー、と感嘆するしかないものなのだけど、選んだ単語たちをくっきりビジュアル化するカメラワーク(つまり言葉をビジュアル化する想起力)がすごい、ということに、会場できょう聴いてて思い至った。これは、いまさらながら、すごい。ほんとうにもう。
以下はまじでいまさらながらの駄解析だ。なんせリリースは1989年。35年前の曲だもん、さまざまに分析はされ切っているはずだ。
曲は情景描写から入る。終わった恋を振り切ることができず、かつてデートで歩いた道をきょうは一人で歩く。いわゆる「岬パターン」だ。どこの街か、についてはたぶん諸説あるだろう。調べてない。自分は、3年ばかり住んでいたことがある神戸を思い浮かべた。長崎もありかもしれない。横浜も。坂道を登りながら振り返ると海と港。カメラはぐっと遠景で景色を切り取る。もしかしたら尾道もあるかも。日本の海辺の街でこういう描写が「はまる」ところは実はたくさんあるんだろう。
そこでふいに感情があふれ出る。たった2小節での転換。嗚咽といってもいいものだ。そして誰にも書けない、モリタカにしか書けないサビになだれ込む。その際のカメラワークの動きがすばらしい。足元から宇宙まで。惑星や気象や無価値なものまで。季節も、時間も。カメラは縦横無尽にあらゆるものをフレームに収める。ザラッとした、銀塩カメラの写真みたいな。テレ端からマクロまで、瞬時に切り替わり、また戻り、めちゃくちゃに揺さぶる。
Aメロに戻り、また情景描写。冬の冷たい風が体の芯まで凍らせる。そして再びのサビ。単語は重ならない。天気も、持ち物も、服も。そして相手と顔と顔をセンチ単位まで近づけないと見えない超マクロの(モリタカが見た)視界まで。カメラワークなんて構成されたものは実はなくて、写したい、見たい、写ったものだけをひたすらに追うカメラ。
音に載せられた言葉を耳で聴いて思い浮かぶ場面が乱雑なカットバックのように次々襲うだけなのに、なんとくっきりとした像を結ぶ、心を揺らす映像であり、短編小説みたいなストーリーの手応えを残して曲は終わる。8ミリフィルムに残された記憶の断片みたいにずっと深いところを揺さぶられる。
明日もきっとこの曲は歌われ、自分はまた違う気持ちでこの曲のこの詞に揺さぶられるのだろう。それってすごい楽しみ。今回のツアーのおもしろいところはそこにあると思う。昨日と今日。今日と明日。
選ばれた単語はただその時選ばれた、その時に手近にあった、指先にたまたま触れたものが拾い上げられただけだ、きっと。でも拾い上げる意味がある単語たち。そしてそれをただひたすらに追うカメラ。この曲は「全て」について歌おうとしている。あなたにまつわる全てが、私の世界の全てなの。そんな曲って、他にある?
2024/12/02