イタリアの秘境を行く #6 アブルッツォ編 いつかのチーズとの再会
チーズおじさんと小さなトランスマンツァ
行き先の手がかりのなかったアブルッツォで、突如思い出した顔があった。ピエモンテ州のブラで隔年で行われる「チーズ祭り」(イタリアだけでなく、世界中のチーズや生産者が集まる)で2004年に会った牧羊家でチーズ生産者のグレゴリオ・ロトロだ。今回改めて調べるまで名前も覚えていなかったのに、彼の大きな身体とお腹、ちょこんと被ったニット帽に強面、そして衝撃的に美味なチーズはずっと記憶にあった。アブルッツォの人だったなと思い調べ始めると、そのホームはアブルッツォとモリーゼとラツィオ、3州の州境にある国立公園内でスカンノであることが判明した。彼の実姉がアグリツーリズモとレストランを営んでいるのもわかり、行き先として一気に現実味を増したのだ。しかし同時に、彼がちょうど一年前に亡くなったという事実も知ってしまった。
彼の姉が営むアグリツーリズモのレストランは、ヴァカンスシーズンが通り過ぎた静けさで、シーズンにはいっぱいだったであろうテーブルにはこの辺りの伝統なのだろうか。カラフルな布巾で食器類をきちっと結んだ独特のテーブルセッティングが、なおきっちりとされていた。
「亡くなられたのを直前まで知らなくて。ブラで食べたチーズが忘れられないです」というと実姉のマリア・ロザリアは胸がつまったような悲しそうな表情になった。病で亡くなったのだそうで、たくさんの人たちが彼の早すぎる死を悼んだ。チーズ作りは、従兄弟やスタッフによって続けられているという。「よかったら夜にチーズのセラーを見てね。今から昼を用意するわね」と彼女は大きなキッチンに向かっていった。ランチはグレゴリオの遺産と言って良いのか、チーズの盛り合わせ。家畜の食べている牧草やハーブのせいだろうか。チーズのアロマがずっと鼻の周りに残っているような香りの高さだ。製法を聞くとなんだけれど虫の分泌液で熟成させたチーズはまた一段と香りが複雑だ。チーズとパンだけでも満足なのに、次にでてきたのは大きなラビオリだった。大きすぎて全部食べられないかもと思ったが、リコッタチーズの爽やかさとトマトソースのキレのある心地よい酸味でその心配はなし。アブルッツォについてから、トマト缶を感じたことが一度もない。すべてフレッシュなトマトをシーズンに手作りして瓶に閉じ込めた清らかなトマトソースばかりだ。
メインは、やはり羊の煮込み。仔羊ではなくマトンだというので少し不安になったが、ここのマトンであれば食べられるかもという予想は裏切られなかった。アブルッツォでは羊のおいしさにやられっぱなしだ。マリアの得意料理だそうで、私がマトンは苦手かもというと、もしダメだったら他のものを作るわねと事前に言ってくれていた。
標高1,000mにひらけた渓谷は、家畜たちの餌になる牧草が豊かだ。もう10月の終わりだというのに、ここに至るまでの間に、私たちは道を家畜の集団に譲ることになった。
「小さなトランスマンツァみたいだね」。
トランスマンツァは季節で行う家畜の大移動で、春夏は山の豊かなアブルッツォの牧草地、そして秋冬は暖かな平地のプーリアやラツィオで羊や山羊、牛たちは過ごす。州を跨ぐ大移動はユネスコの無形文化遺産にもなり、最近はトランスマンツァの移動と共に観光客たちが一緒にトレッキングするのも人気なのだそうだ。
エッシャーの街まで
この日もまた、私たちは遠出の散歩に出かけた。片道1時間歩いて隣街へ。ただただ山を見て歩く。家畜はいないけれど、歩いている道はトランスマンツァの轍だ。
1時間かけてたどり着いたスカンノの街は昼休みで人気もなく、静けさが映画のセットのようで、現実離れした美しさに拍車をかけるようだった。
エッシャーがイタリアに住んで、ローマからこの辺りを訪れたのは1920年代というから約100年前だ。標識のように貼られたエッシャーの原画は、この街の風景が驚異的にキープされてきた証明書の役割も果たしている。それにしてもパチェントロといいスカンノといい、この静かな、寂れたようでいて芯のある持続的な風景は、現実を凌駕する存在感がある。
グレゴリオのアグリに戻ると、私たちはスカンノの街で仕入れた食材と運んできた食材とワインで軽く夕食をとり、グレゴリオの従兄弟にチーズとセラーを見せてもらった。
牧羊文化はチーズや食事だけではなかった。アブルッツォの女性たちは、羊毛の織物や裁縫も得意で、細密画のような刺繍柄はお菓子の文様やアクセサリーにも生かされている。山間の女性たちの内職として発達したものなのだそうだ。伝統的な衣装だという織物はサルデーニャの民独衣装にもありそうだし、どこかユーラシア大陸の遊牧民にも繋がっているような中庸さがある。牧羊という文化を通じてイタリアの孤高な山と広大なユーラシア大陸が不思議に繋がっていると思うと、何かワクワクする。
出発の朝、マリア・ロザンナが、アクセサリーのモチーフになっている造形にも全て意味があるのだと教えてくれた。彼女が作った朝食のドルチェもまた素晴らしく、残すことができなくてその先の旅にと包んでもらった。たった一泊だったけれど彼女の溢れるような母性に包まれて、とても温かな気持ちになった。送り出してくれた時の彼女の表情や、優しく抱きしめてくれた体温は、すべての人の母のようだった。