〜METRO MIN.『INTO THE FOOD VOL.05』2016.09 〜
なぜ国産小麦でパンを焼くのか
「今までに感じたことのない小麦の香りを感じました」。国産小麦との出合いをそう語るのは、神奈川県伊勢原市の「ムール ア・ラ ムール」のパン職人で、製粉工場「ミルパワージャパン」製粉責任者の顔も持つ本杉正和さんだ。肩書きは「創麦師」。週3日は、粉職人として神奈川県産「湘南小麦」や、日本各地のパン屋から受注した他県の小麦を挽く。「美味しいパンのために、季節、品種によって小麦の挽き方を変えます」。本杉さんは、伝説のベーカリー「ブノワトン」(1999年創業)のオーナーで「ミルパワージャパン」創業者、高橋幸夫さんの弟子だった。病に倒れ、志半ばで亡くなった高橋さんの意志を継いだのが本杉さんだ。引き継いで6年(取材時は2016年)。「製粉が追いつかないほどの注文」になり、日本各地の小麦にもまだまだ可能性があると考えている。
日本の小麦の消費量の内、国産小麦のシェアは約12%。「外国産頼みでは、いざ何か起きて輸入がストップしたら、僕らもパンを焼けないし、お客さんもパンが食べられない。パンは日常のものだから、日本の小麦で焼きたい」。パンブームが定着し、製パン、製粉技術も向上した。注目が高まってきた今、食べ手の需要の高まりで、国産小麦の生産を増やせるかの重要な時を迎えている。本来はライバル関係のパン職人同士が、国産小麦のパンにおいては力を合わせ、製パン技術や製粉についての知識を共有している。彼らが見ているのは、日本で小麦栽培が定着する未来だ。
新麦の季節がやってくる
2014年、一大産地、北海道十勝発で収穫を祝う「小麦ヌーヴォー」が開催された。収穫は、国産小麦に目を向けてもらうチャンスだし、日本人はそもそも新もの好き、祭り好き。この流れを受けて、2015年に設立されたNPO法人「新麦コレクション」は、オールジャパンの小麦祭りを仕掛ける。発起人でパン好きコミュニティ「パンラボ」代表の池田浩明さんは「美味しいパンを巡るうちに、国産小麦のパン、その背後にいる小麦生産者、製粉会社の人たちと出会いました。その繋がりが日本の小麦文化をもっと豊かにすると思います」と経緯を話す。「日本人にとって、小麦の季節感は新鮮だと思うのです。パン用小麦は外国産が当たり前だったので」。
今から約30年前、食品の工業化やアレルギー問題から、安全を重視する消費者、有機栽培農家、パン屋が繋がり、国産小麦のパンが生まれた。当時、国産小麦はパン向きではない、が定説だった。しかし、パンブームとなり、国産小麦を早くから使ったベーカリー「ルヴァン」(創業1984年)が人気を博したあたりから状況は変わった。北海道産「はるゆたか」が、パンに向く品種として評判になり、その約20年後に登場した超強力小麦「ゆめちから」は、もう「パンに向かない」とは言わせない性質の小麦。それまで少量生産ゆえに、生産者も品種も混ぜられて無名だった国産小麦が、○○さんの小麦という販売が成り立つようになって生産者のモチベーションを上げた。「コレクションと名付けたのは、小麦は工業製品でなく、毎年違う農産物。素材の違いを生かして美味しいパンを作るのは、デザイナーたるパン職人の腕の見せ所です。その方が、食べる方も楽しい」。国産小麦は、その不均質性も個性として、パン職人、パン好き達をワクワクさせている。そして、小麦の収穫前線とともに、その年、その土地のパンを、語り、集い、食べることが、新たな楽しみとなって定着しつつある。
国産小麦の収穫前線は、九州地区で8月10日頃から北上し、10月下旬頃、北海道に辿り着きます。「新麦コレクション」では、新麦のルールとして①当年産であること②製粉日から二ヶ月以内③プライスカードに「新麦○%使用」を明記 としているとのこと。
日本の主食は米。主食用穀物でないために、小麦を生産する農家は国からの援助もなく、生産モチベーションの低い農産物でした。日本人にとって小麦は、粉になった状態で袋に入った海外産が当たり前で、大地に生えていたり、季節があったりということを食べ手は想像する機会もなかったと思います。だからこそ、新麦コレクションが打ち出したような季節感だったり、個性ということが、食べ手にも新鮮な印象を与えました。生産者とパン屋さん、製粉屋さん、食べ手のファンがコミュニティ化しているのも国産小麦ならではの現象で、主要作物でなかったからこその、ニッチな連携があります。