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再会【2019/12/13】
久しぶりに学部時代の大学のキャンパスを訪れた。渋谷の街は最近また新しいビルもできて、ところどころ変わっているのに、全体としてはずっと変わらぬ風景のなかで人の群れがうごめいていた。
数年前には毎日歩いていた道も、しばらく訪れなくなれば体も忘れ、無意識でいると方向感覚を失った。路地裏を抜けると、補導をする仕事の人たちが道端にうずくまる青年二人に話しかけていた。みな白髪の老人で物腰柔らかそうな人であった。
Bunkamuraの脇を過ぎると閑静な住宅街へと接続する。渋谷は案外孤立した街だと思う。表参道方面へゆくにも、青山大学の付近の裏通りは昔らしい道造りの路地になっている。北へ行けば代々木公園、北西へゆけば小田急線沿線らしい街並みへと拡大する。そしてこのBunkamuraから西側も、神泉といういわゆる高級住宅地で、渋谷の街とは雰囲気が変わる。首都圏まるごとひとつの都市とも言われるにほんにあって、こんな街と街の境界を感じられる場所が僕は好きだ。
ふらりとはいった珈琲店は、数年前から気になっていた店だ。見た目に比べて奥行きがある。窓際のテーブルに腰を下ろすと、若い店員が水とメニューを持ってくる。
壁にかかる世界地図にはコーヒー豆の産地などが書かれている。産地の木板の色が違うというような凝りかたからすると、それなりにお金をかけて作られたものかもしれない。
しばし読書をしてキャンパスへ向かうと二つの道がある。片方を辿ると、井の頭線の高架に交差するアパートの並ぶ一角がある。僕にとっては感情を揺さぶられる場所。思い出したくもあり、二度と思い出したくもない、特別な時間が流れていた場所。
やりなおせるのであれば、幸せになりたい、そんな過去は誰にもあるんじゃないかなとおもう。そういう場所。
ずらりと並んだ郵便受けの口は細長く、広めのものを入れるには不都合そうだ。
忘年会帰りの集団は、今まで知らなかった小さな居酒屋へ入るところだった。居酒屋は、おじさんたちが政権批判やらなんやらをよくしている場所でありながら、いやそれだからこそ、政治からもっとも遠い場所でもあるような気がする。
そこに某政党のポスターが大きく貼られている。人々はそれをどう見ているのだろう。
充分に飲んだあとの足取りは軽い。隣を歩く後輩は、とげのある口調で薄い褒め辞を訥々と話している。彼女が僕へ向けるベクトルと、僕が彼女へ向けるベクトルは異なる。人を愛そうと思って愛せないこと、それは人間にとって悲しい欠陥のように思った。
彼女は僕を駅で引き留めようとしたが、冷たくあしらって帰ることにした。ささやかな罪悪感が芽生えたが、それは彼女が考えることであって、僕は僕の選択をすればよいだけだ。この選択ができるようになって、僕は成長したと思う。
それでも、過去のどこかにとどまったままの記憶というのもあって、それを駒のように前に進める力がほしくなることも、とてもあるものだ。