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「左右盲じゃない?」その一言で救われた話

ヨルシカさんが「左右盲」という楽曲を公開して​​から、1年ほど経ったある日。

「あおこは『左右盲』なんじゃないかな」

唐突に言った夫の言葉が、劣等感まみれのわたしを救うきっかけとなりました。

みなさんは「右と左、どっちだっけ?」と迷うことはありますか?

例えば、視力検査で◯の空いている部分を答えるとき、スムーズに「右下」「左上」のような言葉で伝えられるのでしょうか?

わたしは、幼い頃から「左右がわからない」という性質を持っています。
「右手を出して」と言われて、迷った末に左手を出すような子どもでした。

そのせいか、わたしを紹介する時に複数の人が「右と左のわからない子」という表現を使っていたのを覚えています。

わたしにとって左右の判別を求められる「視力検査」「体操」「ゲーム」などは、他人に「バカにされる」リスクのあるものだったんです。

大人になって多少マシになったものの、今でも急に判断を求められると、3回に1回くらいは間違えます。

どうやっても治らないので「なんでみんなすぐに左右がわかるの?」と、世の中とのズレを感じていたのですが、ある日、夫が唐突に言い出したんです。

「あおこは『左右盲』なんじゃないかな」と。

初めて耳にする言葉でした。

左右盲とは?

調べてみたところ、左右盲とは「右と左を感覚的に理解できない」性質を指すようです。

至極、納得。

そう。わたしは「感覚的」に左右という概念がわからないんです。

「お箸を持つ手が右」と言われても、幼いわたしには理解できませんでした。
「あなたはいつも、どっちの手で鉛筆を持ってる?右手でしょ?」と言われても「どっちだったっけ?」と迷いが生じます。

だって、お箸も鉛筆も左手で「持てる」じゃないですか。
しかもわたしは、ちょっと「使え」たんです。

左右盲になる原因はまだはっきりとわかっていないようなのですが、傾向のひとつとして「生まれつき左利きの人がなりやすい」といわれています。

そう聞いて「わたしは右利きとして育てられたが、実は左利きだったために左右盲になった」という仮説が、わたしの中で生まれました。

もともと不器用なわたしは、右手でも左手でも、そんなに文字や絵の上手さは変わりませんでした。

使いやすい手はなく「どちらの手も使いにくい状態」というのが、正しい表現かもしれません。

思えば大きくなってからも、学校や職場で何回か「あれ?左利き?」と言われたことがあります。

なるほど、そういうことか。
わたしは「左右盲」だったんだ。

その一言で、許された。ようやく自分を、許せた。

わたしは左右盲なんだ理解すると、なんだか許された気分になりました。

じゃあ、しょうがないよね、って。
バカにされるようなことじゃないんだ。そういう性質なだけなんだ、って。

ずっと「こんなに簡単なことができない自分」を、許せない気持ちでいっぱいでした。そんな気持ちに、ひとつの区切りを付けられたような気がします。

もしかしたら「みんなは普通にできるのに、自分にとっては難しい」ことがあって、悩んでいる人がいるかもしれません。

幼い頃のわたしのように、バカにされたり、おかしな子と思われたりして、劣等感を抱いている人もいるかもしれません。

でもそれはただの「性質」であり、努力や工夫が足りないのでも、劣っているわけでもないのだと知って欲しいんです。

自分も相手も、幸せになるために

この世界には、ノウハウがあふれています。
たくさん稼いで、キラキラしている人を見ると、

「羨ましいな」
「悔しいな」
「稼げないわたしは、ダメな人間なんだ」

そんなふうに思っていませんか?

でも、わたしはこう思います。

人ができるからって、自分ができるとは限らない。
それと同じように、
自分ができるからって、人ができるとは限らない。

わたしは、ブログでSEO記事を書いた経験もなく、セミナーを受講したわけでもなく、完全なる未経験からライターとして稼げるようになりました。

運が良かったのもありますが、地道な努力を続けた結果でもあります。

では、稼げていないライターは、努力を怠っているのでしょうか?

違います。

「やればできる」のは「やればできる能力」を有しているから

……でもあるんです。

自分が努力してできたことは、他人も努力すればできると思いがちですが、それは真実ではありません。

備わっている能力は、人それぞれ異なります。
あなたには、あなたにしかない強みや魅力があって、稼げないのはそれを見つけていないだけなんです。

だから、キラキラした人をみて「自分はダメだ」と落ち込む必要はありません。
強みを見つけていけば良いんです。

人ができるからって、自分ができるとは限らない。
それと同じように、
自分ができるからって、人ができるとは限らない。

そんなふうにお互いを思いあえたら、みんながちょっと幸せになれるんじゃないかと思います。

左右を理解できないわたしが、

右は「東」、左は「西」

と置き換えて伝えても受け入れてくれる人がいたから、わたしは劣等感をこじらせずに済んだのだと思っています。

生きづらさを感じている人にとって、このコラムが少しでも劣等感を和らげる一助となれたら、幸いです。

24時間以内にお返事いたします


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あおこ|山梨ライター・ディレクター
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