クールベ「画家のアトリエ」に描かれたボードレールとジャンヌ・デュヴァル
「画家のアトリエ」
L'Atelier du peintre
(1854-55)
🎨ギュスターヴ・クールベ
Gustave Courbet
(1819-1877)
🇫🇷フランス・写実主義
👶オルナン🇫🇷
⭐️ラ・トゥール=ド=ペ🇨🇭
🌎オルセー美術館
ボードレールのミストレスでありミューズだった、ジャンヌ・デュヴァル。ボードレールを取り巻く女性たちの中で、最も縁の深かった彼女は、マネの油彩画、ボードレール自身によるスケッチ、ナダールによる(とされている)写真などに、お姿を残しています。
もう少し調査をしてから、ずらっと並べた記事を作りたいなあ...と思いつつ。
今回は、有名なこちらの絵に、ひそかに描かれ、クールベ自身によって上から絵の具で塗り込められたジャンヌをご紹介しておきます。
制作中に上から絵の具で覆い隠していたものが、時を経るうちに浮かび上がってきたとのこと。
拡大し、露出とコントラストを上げたのが、こちら。
なぜ消されたのかは、調べた範囲では判らなかったのですが、ジャンヌさまは全般にあまり好意的に評価されていなかったようなので、クールベもそのような意見だったのかしら。⇒【2024.2.19追記】Maud Sulter / モード・サルター【↓参考①】によると、ふたりが仲違い(別れ話)した関係で、ボードレールがクールベに消去するよう依頼した、とのことです。
💐 ジャンヌ・デュヴァルとボードレール
Jeanne Duval / ジャンヌ・デュヴァル(1827頃〜1870/1878頃)は混血の女優さんで、「la Vénus Noire / 黒いヴィーナス」とも呼ばれていました。フランス語版Wikipediaには、彼女を評した実に様々な言説が並んでいます。賛否両論。読めば読むほど人物像がわからなくなってきます。
お肌は黄味〜褐色と、見る人によって様々な形容。お肌の色も、ボードレールの生来の好みだったという説と、生涯にわたって「新しい美」を見出そうとしたひとつの表れとする説があるようです。背が高く深い声の持ち主だったようで、そういえば『通りすがりの女に』の女性が、そんなシルエットのご婦人でした。
一説には、酔っぱらいにからまれているジャンヌをボードレールが助けたのが出会いのはじまりだった、とも。また、後年、ジャンヌが病気で半身麻痺になったあとも、ボードレールは(自身が経済的にも健康状態としても厳しかったのに)見捨てることなく、できるだけのことをしようとしたようです。
その割に、ジャンヌさまのほうが彼の献身に報いた様子があまり伝わってこない気も…?
ただ、ジャンヌがボードレールに宛てた手紙は、オーピック夫人によってすべて捨てられたと言われており、ジャンヌ自身の"肉声"が聞こえてこないことも、理由のひとつかもしれません。欠席裁判みたいなものですよね...。
まあ、男女の仲なんて、傍目からはなんともわからないものですし(^^ゞ (同性の誼みで、弁護してあげたい…)
ジャンヌの生没年が不詳なことからもわかるように、人種としてマイノリティであり、立場の弱い女性だったことも、同時代人からの評価の低さにつながっていたのではないかとする論説も見られます。
ジャンヌが「聖性と獣性」をともに具えており、ふたりの関係が「ボードレールは彼女から愛の悪魔的側面を学んだ」と言われているとしても、ミューズであったことは動かし難い事実だったようです。別れたり仲直りしたりを繰り返した彼女の影が薄くなるにつれ、ボードレールの詩のインスピレーションも減衰していったようです。尤も、健康を害していった時期とも重なっているので、どちらの比重が大きいのかは不明ですが…。
公平を期すために、モード・サルターが女性の視点から述べた意見を併記しておきます。──ジャンヌは、25年間ボードレールに付き添い、tempestuousな関係の中でも、宝石(ボードレールがこよなく愛し詩にした髪も、あるいは)を売って経済的に彼を支え、インスピレーションを与えて偉大な芸術家になるよう導き、風紀紊乱で有罪になった折には彼の聖域となって癒し、献身的に支え続けた勇敢な女性──ということです。
(こちらに賛成したい♡)
また、ジャンヌの伝記を著した Karine Edowiza によると「ジャンヌは読書家であり、当時としては現代的で前衛的な精神を持っていた」そうです。
そして、ボードレールと死別した後、お年を召されたジャンヌさまが、20歳の若きソプラノ歌手に向けて呟いた、こんな言葉も遺されています。«C'est difficile d'être l'aimée d'un poète.»「詩人に愛されるというのは、難しいものね。」【↓参考②】
オスカー・ワイルドが述べた"Each man kills the thing he loves." (人は自分の愛するものを殺す。)を思い起こさせる言葉でした。
ボードレールは、やわらかなグレーを描く代わりに漆黒と純白を敢えて記すような、劇的な表現作法の持ち主でもあったので、詩の中に描かれた女性をそのままジャンヌだと字義通りに受け取るべきではないようです。
そもそも、アフォリズム集『赤裸の心』に「ほんの子供の頃、私は心の中に二つの相反する感情があるのを感じた、生への嫌悪と生へのエクスタシーと」【参考③】とあるように、生得的な気質として、常に正反対の方向に引き裂かれ続けていたという痛ましい心の持ち主ですので、愛においてもなかなか幸せにはなれなかったのだろうと思います。
最後に、同時代の詩人テオドール・ド・バンヴィルが、ふたりに捧げた句を引いておきます。
今回、ネットでたまたま見かけた論文【↓参考③】「ボードレールと『警告するもの』」(内山憲一)を読みながら、生きづらくて苦しくて仕方のなかったご様子に、気の毒になあ…といつもながらため息をついたのでした。
というわけで、また翻訳がんばります。別の母語に生まれて良かった…なんて思いつつ ·͜· ♡
【参考】
①モード・サルターは、アフリカルーツの女性たちが果たした文化への深い貢献が、しばしば覆い隠され無きものとされていることに注目し、文化史に見え隠れする彼女たちの姿を追い続けていたアーティストさん。文化史家でもあります。2003年に、ジャンヌ・デュヴァルをモチーフとしたセルフポートレート展覧会を開きました。
②ジャンヌ・デュヴァルの伝記はこちら。主に巻末の資料集を拝読させていただきました。(フランス語です。)
③「ボードレールと『警告するもの』」(内山憲一)
(東京大学学術機関リポジトリ)
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/36258/files/ff021003.pdf
この記事が参加している募集
いつもサポートくださり、ありがとうございます。 お気持ち、心よりありがたく拝受し、励みとしております。