銀の羽根、銀の翼|掌編
聖女エリザベートの目には、無数の天使の羽ばたくのが見えたという。
少年の日の聖堂で、高い穹窿のもと背に清らかな翼を持つ白亜のエリザベート像を目にしたとき、彼の魂は初めて目を開かれ光あふれる世界を見たのだった。
その憧れを、胸の内にどう名指せばよいのか、しかと定め得ぬままに。
青年となった彼は今、故郷のその小さな聖堂に、見習いとなって住み込んでいる。
朝の勤めを終え、御堂を清め終えた青年は、いつものように銀の燭台にろうそくを補充し、聖書を開いてミサのページにしおりを挟み変えた。
全てを整え終えて振り向くと、祭壇のかげに一枚の銀の羽根が落ちているのを見つけた。青年は、エリザベートの像を見上げた。
また今日もあの方はこうやって、翼から羽根を抜き、かつてかの救い主がこの世に降りてきたように、我々のもとに舞い降りて来られる―美しい楽の音が詩人の竪琴に宿るように。
そして彼は微笑み、貧しき家病める者を訪ね歩き、ますます熱心に人に尽くし、何も求めず愛の業を行うのだった。
司祭となっても彼は朝の御堂の清掃を自ら務め続けた。時おり物陰に見出した涼しげな銀の羽根は、すべて身寄りのない子どもらに渡したため、彼の手元には残っていなかった。
「私がもらうものではありませんから」
どの子も愛らしい眼をしている。相好をくずし、彼は瞳をなごませた。
年を経るうちにいつしか聖堂で羽根を見かけることはなくなり、彼は最後の一枚だったはずの羽根を、それとは知らずに長わずらいの少女に渡したことを後になって思い返した。
ふと寂しい風が吹き抜け、彼はただ言葉もなく聖女の像を見上げた。
うら若き聖女の、父親ほどの年齢になっている自分に気づく。
だがそれからも彼は変わることなく、静かにそして熱心に人々の間をめぐり、膝をついて彼らの愛しき手を両手で包み、なすべき勤めを続けたのだった。
そして髪に霜が降り、皺が年輪を刻むようになっていくうち、彼は人々から聖者とささやかれるようになっていた。
ある朝、ミサの終わりに、いつものようにステンドグラスから明るい日が差し込んできたとき、男の子が指さして叫んだ。
「見て! 司祭さまの背に翼が見えるよ」
それは、彼が最後の一枚の羽根を与えた少女が母となり、聖堂に初めて我が子を連れてきた日のことだった―。
やがて彼は最後の息を引き取り、若き日の姿を模して白亜の像が造られた。
背に美しき翼を持つ姿で。
彼は今も祭壇を挟んだ聖堂の両袖に、聖エリザベートと対をなして静かにたたずんでいる。
互いの翼と翼を、いつかいと高き御君の御手がふれあわせる奇蹟を待つように。