命の期限
平成最後の夏、40℃にせまる連日の厳しい暑さの中、83歳の父が突然のけいれんと高熱で救急車で運ばれる事態になった。
父の闘病記録を現在進行形でnoteに記しておく。
極めて個人的な忘備録なので、興味のある方はどうぞ。
2年前にも乖離性大動脈瘤で命の灯火が消えそうな一歩手前を経験した父。81歳と高齢ではあるけれどとても元気でアクティブに暮らしていたので思い切って血管バイパス手術に踏み切った。
奇跡的に元気になった父は、大好きな電動自転車でのサイクリングに1日2回でかけて、友だちとグランドゴルフをするまでに快復し、それはそれで家族はアクティブすぎる父を心配していたものだ。
今回は重い熱中症と診断され救急外来で応急処置をうけ、とりあえずの危険を脱するまであらゆる治療を受けたのち、ICUに移され即入院することになった。
家族が見守る間に意識をとりもどして少し話もできる状態までになり、わたしたちもひとまず安心して家路についた。
ICUでの治療がはじまって2日目。
夜間にかなり重篤な状態で生死の境をさまよい、輸血や透析など緊急で処置が行われたと早朝の救急科の先生からの電話で知らされる。
熱中症の症状が落ち着いてきたにもかかわらず一向に快方にむかわないため感染症が疑われた。
詳しい検査の結果、件のバイパス手術を受けた血管付近が感染していることがわかった。
当面の危険は脱し、意識は戻って喋れるようにはなったが、せん妄とよばれる意識の混濁や幻覚や怖い夢をみる状態が続いていて、手首を拘束されて苦しそうな表情の父を見ると、自転車で走り回っていた頃の面影はすっかり消えて胸がしめつけられる。
担当が救急科から心臓血管外科に変わり、担当の先生から今後の経過予想やリスク、治療方法の説明を受けた。
容態が急変する可能性は依然続いているので、万が一の場合は緊急バイパス手術を受けるのか自然に任せるのかどのような治療を受けるのかは、家族である母とわたしそして離れて暮らす姉が選択してくださいと告げられた。
父の死がすぐそこにあることを実感してかなり落ち込む。
一方でドラマのワンシーンみたいだよなぁと、不思議な感情に戸惑う。
この体験を通じて、現代医学の前では人の命の期限って、医師のさじ加減ひとつで伸びたりそこでぷつんと途切れたりするあいまいなものなのかもと思う。
もしかしたら救急車で運ばれる事態になった時点で尽きていたかもしれない命が、この地域では最先端の医療が受けられる病院へ運ばれたおかげでつなぎとめられたのかも。
3日目。
ベッドで座ることができるようになった。
でも、拘束された手が不快そうで、足もひっきりなしに動かしてベッドからたびたび放りだそうとする。
終始苦悶の表情をうかべていてつらそう。
意味不明な言葉も多く、せん妄なのか痴呆なのか、とにかく元気だった頃の面影は全くないのが悲しい。
昨夜はあまり眠らず大声をだしたり暴れたり動いたりでかなり騒いだ模様。
看護師さん本当にありがとうございます。
4日目。
今日はうってかわって無表情で天井の一点を見つめて反応が薄い。
会話はできるが通じている感じがしない。
相変わらず夢と現の世界をいったりきたりしている。
思いついたことを話しているが言葉が不明瞭。
でも何かを一生懸命話している。
リハビリや食事もはじまり、一般病棟へ移る頃合いを見計らっている。
それにしても。
昨日の苦悶の表情と今日の無表情。
2日間で激変する父の姿に、良くも悪くも医療の効果を強く感じる。
ある症状に効果的な薬は一方で副作用があらわれる。
素人からみると日々状態が変わる父をみていると戸惑いを感じることも多いのだが、今日この瞬間の命をつなぐために最適な方法が取捨選択されているのだ。
どこまで手を尽くすのか、どこから諦めるのかを線引するのは困難だ。
前回のバイパス手術を受けてからの2年間は父の人生のアディショナルタイムだとすればもう十分なのかと思うし、一方また元気になって自転車で走り回りたいだろうなと思うと、家族の意思で父の未来の扉を閉じてもよいのかと苦悩する。
今もICUで闘いを続けている父の命の期限がいつなのか。
たぶん自然に任せていればもう尽きていたのだろう。
今繋がれている管や点滴、呼吸器をはずせばすぐに危険な状態になるだろう。
医療の最先端のもとで、最低限必要な治療はどこまでで、オプションの治療はどこから?
わたしにはどの道を選んでも正解のような気がするし、間違っているような気もする。
納得する答えはみつかりそうにない。
明日の父はどんなふうかな?
つらい気持ちはあるけれど、やっぱり会いに行きたい。