愛着障害の私が最近安心できたこと、2つ
最近は「安心感」をテーマに、セルフ・ケアを実践している。その中でいくつか安心できる取り組みを見つけることができた。実在のメンヘラではなく、エヴァンゲリオンを鑑賞することと、図書館に行って絵本を読むことである。以下に解説していく。
エヴァンゲリオン・セラピー
実在のメンヘラに癒しを求めない方法
私はメンヘラが好きで、メンヘラというテーマについて触れることによってある種の癒しを得てきた。実在のメンヘラと関わることが最も濃密な癒しとなるが、それはおそらくリストカットと同種の癒しであり、ジリジリとした苦しみを伴うものである。何より、実在のメンヘラは他者として存在しているため、あまり自分自身の生命維持に利用すべきではない。メンヘラへの依存は多かれ少なかれトラブルを引き起こすのである。
「エヴァンゲリオン」の中で描かれる人間関係はめちゃくちゃで危なっかしく、性的(リビドー的)で愛着障害的である。その様相はそのまま私がかつてインターネット上で目の当たりにし、踏み込んでいった人間関係と重なる。
私は、エヴァンゲリオンの人間関係を見ることで、とりわけ碇シンジと惣流・アスカ・ラングレーの関係を見ることで、以前メンヘラを見ていた時と同種の癒しを得ることができている。ある種のカタルシス効果だろうか。出てくるキャラクターが軒並み病んでいて、癒される。そういう趣味は悪趣味だし、現実の人々を通して行うべきではないのだが、代わりにエヴァンゲリオンという虚構を通して行えば、安全である。
おかしな順番だが、私は「新劇場版」4作、「Air/まごころを君に」、「シト新生」、そしてテレビ版1話からという順番でエヴァンゲリオンを鑑賞しており、これを執筆している現時点ではテレビ版を12話まで見ている。引き続き、最終話まで見ていこうと思う。
絵本による癒し
絵本は子ども向けに作られている
今の私はもはや、ややこしい文字の羅列を信頼しない。読めもしない哲学書は読まないようにしている。しかも私はうつ病っぽく、長文を読むことが難しい状態である。絵本は、そんな私でも読むことができる。
よく考えてみれば、絵本という文字の形式は子どもの安心感を育むように設計されている。自分が抱えているような愛着障害の問題が子ども時代に得られなかった安心感を取り戻すことで解消されるなら、うってつけである。
私は、市内の図書館にたまに行って、絵本を読んでいる。絵の空気感に惹かれて最初に手に取った「ぼく」という絵本は、よりにもよって自殺した男の子についての谷川俊太郎の詩に絵が付けられたものだった(厭世との縁は切ろうとしても切れないものである😭)。しかし、安心感が傷つけられるというようなことは起こらず、衝撃こそあれど、スッキリとした感触を読了時に得ることができた。
他の絵本を手に取ってみる。自分の顔を自虐する女の子の話だ(前好きだったメンヘラの女性を思い出したよ)。でも最後のページでは、女の子はちゃんと笑顔になってくれた。そうだよ。これでいいんだよ。絵本を読んでいると、この世界は生きるに値するのだと、そういう喜びを思い出すことができる。子ども向けに作られている作品なのだから、当然といえばそうなのだが。思えば、自分が好きな宮崎駿も、子ども向けを意識した作品づくりを行なっている。自分が好きなのはそういうものなのかもしれない。
総括
いくつか安心できる手法を見つけることができたので、今後も探してみる。見つかったらまた書きます。