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理性的人間、感性的人間

 一般的に、人は理性的か感性的かという二つの思考と行動のパターンで語られることが多いように感じる。つまりこれは、論理的思考に基づいた行為を重んじるタイプか、感情の赴くままに行動するエネルギーを重視するタイプかで人の性格や傾向を判断するということだ。もちろんそこまで極端ではなく、どちらかといえば理性的または感性的な傾向を持つ、という人々が圧倒的に多くて、極端にどちらかの特徴を持つ両極の人々との間にグラデーションを成しているのだろう。

 「理性的人間の方がなんかカッコよさそう!」というなんとも感性的な理由で、私は理性的人間であることを長い間目標に掲げていた。しかしまあ、どうしようもないほど行動の理由を感性に依拠しているので、理性的人間チャレンジは失敗に終わっている。論理的思考ができる=頭良い、という図式が私の中で出来上がっていたため、頭良さそうに見られたいというイキりから理性的判断をしている風の発言に努めた時期もあった。ただ繰り返しになるが、本当に感性的にカッコいいを判断しているので、結局未だにかなり感性に振り切った人間のままである。論理的に考えて俯瞰で物事を見た上で行動できる人のことを心底尊敬しているので、理性が感性以上に強い人に出会うと、ただただすごいなあと感性的に思う。

 哲学には、人間は理性的か、それとも感性的かという一つの大きな問いがある。性格傾向の話ではなく人間全体の傾向としてなら、私は人間とは感性的な生き物だと思う。もし人間が完全に理性的だったら、絶対自分を好きになってくれない人を思い続けたり、毎度同じ展開の恋愛をしてその度に夜通しサウシーを聴くような人々は存在しないでしょうし…。

 人間の「人を好きになる」というエネルギーは、私からすれば感性の産物だ。もしかしたら好みのタイプがあまりにも一貫してる人とか、合理的に自分の利益になる人々としか関わらない人などは理性の方が強いのかもしれない。それでも大抵の人が、よくわからない理由で他人を好きになれるのは、やっぱり人間が感性に依拠してるからじゃないの!と私は思う。

 本当にTMI(too much informationの略,韓国のアイドルが使うらしい)になってしまうが、
私は感性的に誰かを好きになるという以上に、人の感性を好きになることが多い。例えば人が撮って編集した動画を見たとき、人が好きな音楽を聴いたとき、人の読書体験に触れたとき。そういうときに、「この人の感性って素敵だ!!」と思うことが私にとっての好きと同義で、これ以上に強い感覚的な好きはないかもしれない。その人の内側に豊かな世界が広がってる可能性というのは、1番人間的魅力に繋がるような気がしている。

 人間は感性的生き物です!これは私の中で確固たる哲学的(?)主張なのだが、論を立てるにも展開するにも、理由として語れるのが今のところ恋愛観しかないせいで、哲学論文が書けていない。もしかしたら、残念ながら哲学論文が書けないまま歳をとって、哲学的主張を続ける感情的人間として生きていくことになるのかもしれない。ただ、私は大分感性に依拠しているので、「それもまた一興!」くらいのノリでさして気にも止めないだろう。それでもやっぱり、毎度同じタイプのだめんずに引っかかってサウシー聴いて泣いてる女の子の存在(ちなみに私は失恋を2日後には忘れてしまいます)を心の隅っこで肯定したいので、偉大な哲学者が現れて「人間は感性的らしい!」って論証してくれたらな〜と思っています…

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