見出し画像

辺境のオーバー・ザ・サン偏狂感想日記 Ep.67

2022.1.7アップの回。個人的神回その3。いつもの2倍くらいの感想日記量になった…。

人間は是々非々

お便りを受けて、18分40秒頃からのスーさんのお話に強く共感しました。
放送から抜粋しようと思ったのですが、この一連の会話の流れが重要であり、文字起こしせねばと心が駆り立てられました。(一言一句完璧にではありませんが…)

スーさん:
嫌われないようにするのに飽きた。
嫌われないように振る舞うのに疲れた。

もともと私なんて大した人間じゃないのよ。

美香さん:
「スーさんに言えば解決して答えを見つけ出してくれるかも」とか「スーさんに言えば大きく包んでくれそう」とかちょっとシンボルになってますよね?


スーさん:
そう言うのから全部逃げてきたんだけどね。なかなか逃げきれなくなってきた。

(以前Twitterに)もっとはちゃめちゃにやりたいと書いていたら、咎めるわけじゃないんだけど、「今日の相談者さんに対するお手本にならないといけませんもんね」みたいなリプライが来たわけ。
それで「おぉ!」っとなって。また箱に入れられる!

「相談に真摯に応えるってこと」と「相談者のお手本になる」ということは全く別なので。是々非々じゃん、全部。

いろんな想いが今錯綜してて、友達で慎重な人もいれば大胆な人もいる。
慎重な人は「やらない」慎重さ。大胆な人は「やる」大胆さだと思っていたけど、それだけじゃなくて、大胆な人って「慎重な人が警戒することを警戒しない」とかそういうのもあると思う
積極的に足を前に出していく大胆さじゃなくて、「そこは警戒しないで、なんかあっても、まぁ、自分でうまく取り仕切れるんじゃない?」という自信というか、そっちを身につけていきたいなと思ってて

ネット、主にSNSもそうだけど”衆人環視”なところにいるわけじゃん。(ラジオ、Podcast、本など)
今、一回燃えたらおしまいじゃん。おしまいっていうか、少なくとも評判は下がる。あれをやらないように、ガードをガンガン上げてたんだけど、ガードはすごいうまくなったんだけど、「あれ、これだっけ?私のやりたかったこと…」。

誰からも好かれるわけじゃないけど、落ち度がないみたいなことを結構重要視してて。ラジオでは全方位配慮でエッジがなくなってきた。
エッセイも、気持ちやモヤモヤしていることを言語化していくことで人の期待に応えていくと、武器なのか鎧が分からなくなってくる。武器だった時もあるかもしれないけど、気づいたら鎧になっていた。
(Podcastでは、最初の頃のスーさんに近いから若いリスナーが多いのでは?)
どこにも顔を顰められない、眉を顰められないっていうことを、やり方として体得してしまった。
人の言葉で殴ってくる。「前の人はこうじゃなかった」とか。
”衆人環視”のもとでしゃべったり書いたりするもの全部そうだけど、基本的に正してくる人はいるんですよ、絶対に。
生き方だったり、言葉遣いだったり、無知だったり。

それを正してくる時に自分で正すんじゃなくて、「前任の方は違いましたよ」っていう正し方をしてくる。前任と私の話。
顔の見えない他人に前任の言葉で殴られる謂れはないよ。
不機嫌な人の機嫌を取ろうとすると、どっかから言われないようにガードが上がっていくというか…

18:40〜25:00頃

ローカル環境じゃないし、一対一のつもりでもやりとりをしている矢印は相互でも、それを見てしまえる無数の矢印がネットの海を航海している。

世界中とつながっているネットへ発言したり、書き込んだりした言葉やアクションたちは、”衆人環視”のもとに晒されているという意識を疎かにしちゃいないか?
私自身も気を付けていかなければならないこととして胸に刻んでいます。

現状のスタンダードな共通認識を踏まえること、レイシズムに加担しないこと、センシティブな話題に土足で踏み込んで荒らさないこと、必ず誰かの目があり心があるのだということ。
当たり障りのない言葉になって表現が無味乾燥になるのではという怯えと、何でもぶった斬ってサバサバを演出することは違うと思う。
誰かを傷つけたくて発信するのではなく、書きたいから書くのが前提にあって。
全方位外交していかなければいけない世の中はキツイけど、だからといって恐れて埋もれてしまっては、何もできないし何も残せない。
自分だけが読む日記帳に書いていれば何も気にしなくていいけど(不慮のことで発見される場合を除く)、そうではなくて仕事にしていきたい。
そのためにはネットか即売会、いずれにしても誰かの目に触れる場所に自分を置かなければいけいない。
やるなら、バイブスが高まる創作をしていきたいのです。

美香さん:般若心経は言っていた。

概念は、私たちが作っているだけ。
水は流れているものだし、実態は空だから。(”色即是空”ポイント)
実は存在していないものだから。
それに、惑わされたり、続くものではないから、それに留まってはいけないという話ですから。

人間は良いところも悪いところもある。
一側面だけを求めるな…!
ないことにするのも良くない。良いところも悪いところ含めて、人の気持ちの向き先は何方向もあるのだから。

私らしさみたいなものは変わっていく

”私らしさみたいなもの”は変わっていくし、人が決めるものだったりするんだけど、でも、今の自分が”自分らしいかどうか”は分かるじゃん。
ってなったときに、私はこんな出来た人間じゃないと、落ちたポテトとか拾ってふーふーして食べるような人なのに、うるせぇバーカとか言って取っ組み合いして掴みにいくような人なのに、何でこんな物分かりのいい感じになっちゃったかなと思って。

30:00〜 スーさん

以前退職する際に、職場での「本当の自分」とは?みたいな話を詰め寄られたことが思い出されました。
大体の職場でそうでしたが、本当に本当の自分なんて仕事を遂行するだけに集まっているだけのような職場で出したら鼻摘みもんにされるだろうし、利害の害しか見せられないぞと心の中で反発しておりました。
あぁ、この時感じた反発、これが私なりに身に付けていた武器であり鎧なのだなぁなんて思ったりして。

本当の自分、出していこうよ!もTPOによるし、その人達との関係性による。そういったペルソナの使い方をとっていらっしゃる方は多いのではないでしょうか…勝手な憶測ですが…。

当たり障りのないような言動を心がけ、締め切りを守り、手が空いていたら仕事を見つけ、大変そうな方がいたら声を掛け、だらしなさを見せず、タバコ休憩も取らずにデスクに齧り付き、愛想よく電話来客応対をする。
全部が全部しゃらくせぇですし、好きな時にタバコくらい行きたい。
そんなことはできないと分かっているので、良い人を演じるペルソナの仮面を自らの顔面に嵌め込んで他者と向き合う。

そして私はこの良い人ペルソナが上手に扱えず、装備したはいいものの実は【はんにゃのめん】で守備力は上がったが、それにより常時回復不能の【混乱】状態のバステ状態に。売っても二足三文にしかならないし。良いことがなかった。なめられてたとも思う。

しかし、世を渡っていくためのペルソナが私には必要だと思うので、もうちょっとマシなステータスのものにアップグレードしていきたい。

人に何か言われても逃げていく

スーさん:
ダメな男・お局を切ってくださいという企画を持ち込まれてそれらを断って、「自分の中で正しいと思ってきたことを言う」というスタンスでやってきてたら、結局今度は”正しい人”になってしまった。

美香さん:
自分でも、そうせざるを得なかったという…番組を抱えて。

34:25頃〜

(代理で切ってもらってスカッとしたい。そういう番組や論破ムーブメントあるな……かつての大岡裁きのような?)
私らしさであったものの形が変容してしまったことを受け入れるのは難しい、であるからこそ、
私らしさ”を取り戻す!”私らしさ”のレコンキスタ(国土回復運動)をしていく!

スーさんが”正しい人”になってしまったことによる効能もあるそうで、「決め付けたりすることがなくなった」。(決め付けや偏見がなくなった)
だけど、「相手によって言い方を変える」が許されなくなる。(「いつもこっちではそんな言い方しないのに……」など。)
そもそも話す相手が場面や企画でも異なっているのに、ある面だけがその人の正しい姿だと思うことなかれ。この種の発言を反面教師とさせて頂き、私も気をつけよう。
所謂個々人の「お気持ち」を正直に伝えてしまうから起こってしまう軋轢なのだ…。
顔を見せて発信している方々に聖人性を一方的に求めてはいけない。

「私なんかが」

「自分の言いたいことを言うのはめちゃくちゃ大事」。仰る通り……!
以前、知人に「察して欲しい」の態度は何も生まないにむしろマイナスと言われ、ハッとした私は「伝える」という練習をしている。
Aというグループではできるけど、Bではできないというケースがまだまだあって、全てにおいて言いたいことを伝えていくのには継続的な修行が必要そうです。

「私なんかが」構文は、クッション言葉のように使ってしまうかもしれない。つまるところ自衛。嫌われたくないという防衛本能。
守っているようでも、「私なんかが」は諸刃の剣で自己を簡単に下げていける。
かなり初期段階で習得することが出来て消費MPは少ないのに、効果が長期間に渡って継続するという、対象が自分限定のデバフ魔法。
こう書くと最低の呪文として認識できるな、「私なんかが」よ。
私はこの魔法を性能の良い魔法で上書きして忘却しよう。そのためにはいろいろな方々と話したり、本を読んだり、能動的になるべし。

結びに

私らしさを取り戻すということは、物分かりのいい人選手権から離脱するって言うこと。

スーさんすげー!となってしまうと、スーさんは逃げてしまわれるだろうけど、それでもその後ろ姿を置いていかれぬよう走って付いていきたいのがOTSリスナーたる自分なのである……。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?