「常識」を提供するChatGPT
今話題のChatGPTを使って、いろいろと質問している。知らないことや難しいこと、調べるのが面倒くさいことなどいろいろ教えてくれるのでありがたいが、他方あんまり面白みのない答えが多い。
それは何故かと思って、いろいろとChatGPTに質問をぶつけてみているのだけれど、ウェブサイト、ブログ、書籍、論文、ユーザーからの質問などの中から、「信頼性の高い情報源(公式のウェブサイトや専門書)」を選び「学習し、情報を提供して」いるらしい。
ちなみに、2ちゃんねるのかつての書き込みとかを参考にしないのかと聞いたら、
とおっしゃられる。
すべての情報を等しく取り扱っていると「正しい」答えが得られないから取捨選択を行って、結局いわゆる公式のウェブサイトや専門書のような「信頼のおける情報源」達から導いた折衷案としての最適解をご提供しているみたい。(この前のオードリーのANNを聞いていたら、若林さんの生年月日や出演作品を間違えてたりするので、日本語の情報は変なところから参照してのかもしれない。)つまり、そういったところから得られる情報をまとめたものを回答しているから目新しい感じがしないんだなと。
「常識には仮説的なところがない」というのは、三木清の言葉だ。「常識」は世間の意見の折衷案であり、無個性であって、思想や信条のようなそのひと独自の「仮説」とはほど遠いものである。
ChatGPTは「常識」を提供してくれるが、自身の経験に基づく思考や探究心に基づくものではない。そして、かつての2ちゃんねるのように尖った意見を提供することもない。だから合っていても面白いなと思うような回答が少ないのかなと思う。
参考までに、ChatGPTと議論していく中で「そのようなデータ(地動説を支持するようなデータ)がなければ、あるいはコペルニクスの出現の前であったらあなたは天動説を支持しますか?」という問いの答えを掲載したい。
ChatGPTは正しいことではなく、その時々の優勢な学説に乗っかる可能性があると言うことを言っている。ChatGPTは正しいことを提供するのではなく、「常識」を提供するソフトだ。人間がそれを無批判に正しいことと思い込んでしまうと、それは大変危ういことだと思う。
結局、AIの出した「常識」を批判し、疑うことができるのが、人間の役割になると思う次第。そのためにはAIが出してくる「常識」についてある程度理解する必要があるのだから、人間の方もある程度「常識」については、勉強が必要。ってことは勉強の必要性とかは今までとあまり変わらないかもしれない。
参考 人生論ノートにおける「仮説」と「常識」をつたない筆力で書いてます。
※追記 簡単にいえばChatGPTは『人生論ノート』の言葉を借りれば、仮説的なところがなく常識的で、懐疑することなく独断的だと言える。