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同性愛者への司牧をする喜び
同性愛傾向をもつ人たちへの司牧が大事なことは分かるけれど、実際どうすればいいんだろう?彼らに教会の教えを伝えれば、教会から離れていってしまうだろうか?第一、当事者とどう接すればいいんだろう?――そう悩む司牧者もたくさんいると思います。
米国に、同性愛者のための使徒職団体、Courage(=勇気) Internationalの本部があります。1980年、ニューヨーク大司教区のテレンス・クック枢機卿から依頼を受けたジョン・ハーヴィー神父(聖フランシスコ・サレジオのオブレート会)によって設立されました。教皇庁認可団体です。EnCourage使徒職もあり、これは同性愛者がいる家庭の親や友人を支援する団体です。現在、世界各地に175支部あります。
この団体は、同性愛の傾向を変えることをメンバーに強要することはしません(同性愛の傾向にはさまざまな要因があり、後で自然に変わる人もいれば変わらない人もいます)。同じ悩みをもつ仲間たちとのわかちあいをとおして、友情を深め、信仰を学び、癒され、貞潔の徳を共に生きるために支え合うことを第一目的としています。
団体代表を務めるボチャンスキー神父の司牧者としてのあかしを紹介します(以下、和訳。リンクは文末)。
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転機
フィリップ・G・ボチャンスキー神父
私は10年以上――司祭になってから半分以上の期間、Courage使徒職にたずさわってきましたが、自らこれをやろうと望んだわけでもなければ、それが自分の司牧活動になると思ったこともありませんでした。 2009年のある日、私が所属するフィラデルフィア大司教区のCourageメンバーの一人に――私の小教区の信者なのですが――、チャプレン(指導司祭)をなくしたばかりのCourage地元支部を指導してくれないかと頼まれました。 最初は、何を話せばいいのか、どうすればよいのかわからないまま、とりあえず集まりに参加してみました (多くのチャプレンが私と同じような体験をしたことを後で知りました)。しかしその後、Courage 本部に行くまでの五年間、地元支部でチャプレンを務めるなかで、私の人生と司牧生活はさまざまな面で豊かになり、変えられていきました。 何よりも、この使徒職で出会った人々に、真の「霊的父」になるとはどういうことかを教わりました。
これについてお話できることはたくさんありますが、私の記憶にはっきりと残っているのは、地元支部のチャプレンになってから約1年後の、ある出来事です。大司教区から、毎年大聖堂で開催される「小教区共同体大会(Parish Life Congress)」で展示ブースを設け、パンフレットを配布しながら、Courage使徒職やEnCourage使徒職について話をしてみないかと誘われたのです。 この時、私は司祭になって11年目で、すでに大司教区内のいくつかの小教区やその他の任務に配属されていたので、参加者の中にはかなりの数の知り合いがいました。 私がCourage使徒職の展示ブースにいるのを見て驚いた人もいましたが、多くの人がこの使徒職について、励ましやサポートの言葉をかけてくれました。このようなイベントにCourage使徒職が招待されたのは初めてのことだったので、たくさんの人が来てくれました。
大会が始まって1時間ほど経った頃、心にふと浮かんだ不安な思いで私の気は完全に散ってしまいました。私の知り合いは、私がCourage使徒職を担当していることを今回初めて見ているのだ、ということに気がついたのです。 頭の中で、いろいろな質問が飛び交いました――彼らはこの司牧活動について、どう思っているのだろう? この司牧活動に関わっていることで、彼らは私のことをどう思うだろう? 私を見る目は変わっただろうか? 私自身に同性愛的傾向があるのでは、と疑うだろうか? 私が教会の教えをちゃんと信じているかどうか疑うだろうか? みんな、いったい全体、何を考えているんだろう?
この時の自分を誇らしいとはまったく思いません。ですが、神様がこの瞬間を変えてくださったことを、私はこれからもずっと感謝し続けるでしょう。このようにして何時間も私を悩みにまかせた後(実際は数分だったと思いますが)、神様は私の視点を一変させる真実に目を向けさせてくれました――「この人たちに仕えるようにと、私がお前に託した人々の多くは、毎日このような思いをしているんだよ。彼らは、教会や世界の中で、自分はどこにいていいんだろう? と思い悩んでいる。他人が自分のことをどう思っているのか、小教区や家族の中に自分の居場所はあるのかと不安を抱えている。自分の体験を大切な人たちに伝えられるか、それを受け止めてもらえるかどうか気に病んでいる。彼らを見守り、彼らの悩みの種を一つでも減らしてあげなさい」。
あの日の展示ブースでの出来事は、私の司祭としての人生の転機となりました。Courage使徒職のチャプレンとしてだけでなく、私が司祭として行うことすべてにおいてです。その時、神は私に「霊的父」としての在り方を明らかにしてくださいました。神は、私が自分に託された人々を理解し、共感することを望んでおられます。彼らをきちんと代表すること、彼らが自分たちだけで話すのが困難なときには、私が代弁することを望んでおられるのです。自分の命を投げうってでも、私が彼らを無礼や批判から、また、彼らが美徳を生きることを妨げようとして人々が浴びせてくる、あらゆるものから彼らを守ることを望んでおられます。そして何よりも、私が彼らを愛することで、彼らへの天の御父の愛をほんの少しでもあらわすことを望んでおられるのです。このように生き、愛するように努めるときほど、司祭として幸せなことはありません。
Courage使徒職とEnCourage使徒職のメンバーに仕え、彼らを代表することは私にとって大変な名誉であり、各地域のチャプレンも同じように感じていると思います。私が本当に喜びを感じる時――それは、たくさんのメンバーが神の招きに応え、大小さまざまな方法で、自分の人生や人間関係において示された神の恵みの変革の力について、個人的なあかしをするのを見る時です。 我らの親愛なるハーヴィー神父様は、「私たちCourage使徒職の最高の大使は、メンバーたち自身です」とよく言っていました。
ですから、この新しいブログ、「二階の広間(The Upper Room)」を公開することを嬉しく思います―― 2週間ごとに、Courage使徒職とEnCourage使徒職のメンバーとチャプレンに個人的なあかしをしてもらい、そこで、自分の人生において神の愛といつくしみに出会った瞬間に焦点を当てて、書いてもらうことにしました。最初の復活祭の主日の夜、二階の広間に集まった弟子たちのように、私たちは彼らに「道で起こったことや、・・・イエスだと分かった次第」(ルカ24・35)について、話をしてもらいます。
頻繁にチェックして、ソーシャルメディアでもフォローして、The Upper Roomの新しい投稿を見逃さないようにしてくださいね。
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フィリップ・G・ボチャンスキー神父は、2017年1月1日よりCourage International, Inc.のエグゼクティブ・ディレクターを務めています。ボチャンスキー神父は、フィラデルフィア大司教区の司祭で、受賞歴のある作家でもあります。2019年、教皇フランシスコより、教会への「長年にわたる優れた奉仕」を評価され、バチカン有功十字勲章(La Croce Pro Ecclesia et Pontifice)を授与されました。
記事へのリンク:A Turning Point - Courage International