カトリック教会がトランスジェンダリズムに反対する理由
「ノンバイナリー」「トランスジェンダー」「性の多様性」という言葉が、日本のメディアでもよく使われるようになりました。カトリック教会が、これらの概念に反対する理由はなんでしょうか?カトリック教会が守りたいものは何なのでしょうか?
米国のカトリック護教団体「カトリック・アンサーズ(Catholic Answers )」のC・Y・ケレット氏の記事をご紹介します(以下、記事の和訳。リンクは文末)。
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トランスジェンダリズムの狂気は医師を独裁者にする
――カトリック教会は、不正の被害者のために声を上げなければならない。そしてトランスジェンダー運動は不正にまみれている。
C・Y・ケレット
2021年9月14日
なぜカトリック教会はトランスジェンダー運動に反対しなければならないのでしょうか? なぜ教会は自分の「領域」にとどまって、成年たちがやりたいように彼らの自由にさせないのでしょうか?
最初にお伝えしなければならないことは、カトリック教会は、ドレスを着る男性たちにわざわざ「喧嘩を売りにいきたい」と思っているわけではないということです。これは、そういう問題ではありません。教会は不正の被害者のために声を上げる義務があるからであり、トランスジェンダー運動は慈愛の言葉で自らを包んではいるものの、 中身は不正に満ちた運動だからです。
例を挙げましょう。私の友人である児童擁護弁護士が、地元の州に住む2人の少年たち――父親に何度もレイプされた少年たちの話をしてくれました。事件発覚後に保護された少年たちは、自分たちは「男の子ではなく女の子だ」と主張するようになったそうです。ソーシャルワーカーたちは、少年たちが女の子たちとして生きられるよう 「手助け」をし始めました――現在、「性移行(トランジション)」として知られているものです。
トランスジェンダリズムの妄想にとらわれていない人であれば、これが狂気の沙汰であることはすぐに分かるでしょう。実際、この種の「ケア」は、父親が少年たちに対して行った残虐行為を永続させるものです。それが少年たちの身体的・化学的な「去勢(mutilation)」にまで及ぶ場合は、なおさらです。
教区の信者に向けて書かれた、『人格をもった人間とジェンダー理論に関するカテキージス』と題された手紙の中で、バージニア州アーリントン教区のマイケル・F・バービッジ司教は、トランスジェンダー運動の「不都合な真実」について述べています。
調査によると、性同一性障害と診断された子どもや青年は、うつ病や不安症などの精神疾患を併発している率が高く、自閉症スペクトラムである可能性が3〜4倍高く、未解決の喪失感やトラウマ、虐待など、幼少期に有害な出来事を経験している可能性が高いといいます。
トランスジェンダー運動を擁護する人たちは、きっとバービッジ司教のこの言葉に異議を唱えるでしょう。「心と体の性が一致しない」と主張する子どもたちが、メンタルヘルスの問題を抱えているのは社会が彼らの「本当のアイデンティティ」を認めないからだ、と主張するでしょう。しかし、このような主張には何の根拠もありません。トランスジェンダー活動家たちの反論がどうであれ、バービッジ司教の言葉は、臨床的なエビデンスに基づいた司牧的な発言です。それは現実を説明しているのです――最も弱い立場に置かれている人々のことを気にかける人であれば、誰でも懸念を抱くべき内容です――精神科の集中治療が必要である、脆弱な立場にいる人々が危険にさらされているという現実です。
このような子どもをもつ親たちの話――特に、自閉症の子どもたち(それ以外の精神疾患もありますが) の話は、次から次と出てきます。弱い立場に立たされているがゆえに、彼らが最も必要としている医療専門家から不当に扱われ、搾取される姿がだんだんと明らかになってきています。
先日、カトリック・アンサーズ・ライブの放送中に、ある母親から助けを求める電話がありました。彼女は「昨夜、神に向かって叫びました」と言って、話し始めました。
電話の前晩、この母親は17歳の娘と口論していました。娘は自閉症、心的外傷後ストレス障害(PTSD)、重度のうつ病、自殺願望、自殺未遂などの精神疾患を抱えています。口論の理由は、娘の「自分は男の子だ」という主張でした。
数多いメンタルヘルスの問題を抱える子どもをもつ、ごく普通の愛情深い母親として彼女が望んでいたことは、娘が精神疾患の治療を継続し、(症状が良くなるまでは)自分の性に関するあらゆる決定はせめて待ってもらいたい、ということでした。母親は恐怖を感じていました。最愛の娘の治療のために頼りにしていた精神科の医師や病院側が、娘の「性移行」を支持していたからです。この母親が入院中の娘を訪ねると、病院のシステムに登録されていた娘の名前と性別は、医療スタッフによって既に変更されていました。しかも、母親が娘の元の名前で呼ぶことも、娘を女の子として扱うことも許されませんでした。
「私は、あの子に美しい名前をつけたのに」と、この母親は電話口ですすり泣きながら言いました。「私には、親としての権利はないのでしょうか?」
精神病院が「子どもの名前と性別は変わった」と宣言し、母親が子どもの治療に関与したいのであれば、この決断に従わなければならない、さもなくば「問題ある親」というレッテルが貼られてしまう――これほど徹底した権力の行使が他にあるでしょうか? この母親は今、家族が頼らざるを得ない医療関係者を常に恐れて生きています。娘が18歳になったあかつきには、性適合手術と称して、医療関係者によって、娘の身体に危害が加えられるのではないか、もしかしたら娘の身体に手術メスが入れられるのではないかと恐れているのです。
これは「偽りの慈愛に根ざした虐待」としか言いようがありません。
「母」と「父」、「女」と「男」といった言葉の意味を、社会全体で変えなければならないと主張するトランスジェンダー運動の、陰湿な「いじめ」のような独善的な性質はよく知られていることです。しかし、これはトランスジェンダー運動によるいじめの、ほんの始まりに過ぎません。
このようないじめは、メンタルヘルスの専門家、特に自閉症やトラウマ、自殺願望を持つ、うつ病の子どもの家族とその専門機関とのやり取りの間で、最も顕著に現れます。自分の子どものための支援を求める家族は、多くの場合、トランスジェンダー運動の歪んだ不合理に加担する施設や医師以外には頼るところがありません。トランスジェンダリズムの思想に染まった医療制度を利用することは、弱い立場の子どもをもつ親にとって、子どもに必要なサポートを得るために、自ら子どもを危険にさらさなければならないことを意味するのです。
バービッジ司教は、こうした親たちが何に対して危機を抱いているのかを説明しました。
「当事者の性自認」に基づく性別を承認する医療や外科的介入は、子どもや青少年の身体に重大な、ともすれば回復不可能な害をもたらします。「二次性徴抑制療法」(実質的には化学的去勢)を使用して、健康な子どもの自然な心理的・身体的発達を阻害したり、異性の第二次性徴を誘発する異性ホルモンを使用したり、思春期の健康な乳房や臓器、性器を切除することなどがこれに含まれます。
想像してみてください。自殺願望のある子が生き延びることができるように、自閉症の子が地域の一員として生きていけるように、精神疾患のある子が現実を認識することができるように、何年も昼夜を問わず、自分の子どもを支えてきた家族たちが、このような危険に直面する羽目に陥いるのです――子どもを助けてくれるはずの人たちが法的権限をもって、バービッジ司教が手紙の中で挙げたようなことを、子どもたちにするかもしれないという危険に。
自閉症や重度のうつ病、統合失調症などの子どもをもつ親は、薬を処方してくれる医師や、子どものために救急医療を提供してくれる病院に、全面的に頼りきっています。このような親たちが、嘘を黙認しなければならないこと自体、非常に不当なことです。自分の子どもの身体が、医療行為として切り刻まれるのではないか、子どもを奪われるのではないか、あるいはその両方をされてしまうのではないか――このような恐怖に怯えながら生活しなければならないなど、単純に考えても恐ろしいことです。
カトリック教会がこのような不正に満ちたイデオロギーに対して公に非難するのを、教会が「お堅い」からだと捉えるのは間違いです。これはカトリック教会の義務なのです。
記事へのリンク: Transgender Madness Makes Doctors into Dictators
The Church must speak up for victims of injustice, and the transgender movement is steeped in injustice--by C.Y. Kellet, Catholic Answers