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女性に惹かれる女性とは、何者か?

誰でも「本当の自分ってなんだろう?」と考えることでしょう。同性に惹かれてしまうキリスト者なら、悩みはなおさら深いかもしれません。米国にある、性に悩みを抱える人々のためのミニストリー、Eden Invitationの創設者、アンナのストーリーをご紹介します(動画の和訳。リンクは文末)。

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私って何者?

結局、ラベルなんて関係ないんだと思う。
「ゲイ」とか「レズビアン」とか「バイセクシャル」っていう言葉も、
結局、ラベルに過ぎない。
ラベルは、あなたのすべてじゃない。
あなたは人間。
他にはいない、唯一無二の存在。
あなたは複雑な人間。
私たちって、そのような者なんだと思う。
ややこしい人間。 

小さかった頃、私は「ごっこ遊び」をするのが好きだった。
親も遊んどいで! って勧めてくれたし、おもちゃもたくさんあった。
夏には「夕飯になるまで家に帰るな!」って言ってくれるような親だった。 

いつも兄弟たちと外にいて、走ったり、林の中で遊んだり。
私たちは魔法の世界にいるんだ、って思ってた。
親は、子どもたちをカトリックとして育てた。
毎週日曜にはミサに与った。
食前の祈りも欠かさなかった。
カトリックの一貫校にも通った。 
中学校の頃、3、40人のクラスだったんだけど、
四分の一は自動的に人気者、っていうクラスだった。 
高校に上がると、もっと複雑になって、
私はクラスに馴染むのに、本当に苦労した。 

出会い

 高1か高2に上がる夏に、あるカトリックの集まりに参加した。
そこには、2000人くらいのティーンがいて。
なんか、ものすごい熱気を感じるイベントだった。
 
その晩、祭壇の上のろうそくの火しか点いていないチャペルで、私は跪いていた。
 
今でも思い出す。そこは大きな体育館で、私たちのグループは暗い隅っこで身動きが取れなかった。
 
私はなぜかどうしても、聖体顕示台から目を離すことができなかった。
何千人もいる部屋だったのに、神様は、私を見つめているんだと感じた。
私の孤独、怒り、絶望を全部。
ただ私を見つめていただけじゃなく、横を通り過ぎたわけでもなく、
神様は分かってくれた。
私の心に入って来てくださった。
そして私を愛してくださった。
私がいた、あの場所で。
 
その時、私は初めて決心した。
これが、私がやりたいことなんだ、って。
この恵みが何なのか知りたい、って。
この神がどういう方なのか、知りたい、って。

気づき

その後、何人か友達ができた。
そのうちの一人と疎遠になっちゃったんだけど、
その時に気がついたことがあって。
私はその子に恋愛感情があったってことを。
 
それ以降、私は共依存みたいな友情ばかり築いていった。
その中でも、互いに特別な感情を抱くような友情があって。
「何が起きてるんだ?」って、自分たちでも驚くくらい。
お互い、惹かれ合ってたんだと思う。
 
でも結局その友情は、破綻した。
私の心は、失恋のような気持ちでいっぱいだった。
私たちは別れたんだ、って。
彼女の友人たちに嫉妬したりして。
それで、私は自分でも認めざるを得なかった。
私は、彼女に恋してたんだって。

正直に生きる

それで気がついたのは、私は独りではやっていけない、ということ。
だから、他の友達にも話すことにした。
霊的指導とかカウンセリングを受けたりして。
そうするうちに、神様に対しても、もっと正直になれるようになった。
 
神様の前に、包み隠さず広げてみることにした。
こういうことが起きているんだけど、って。
心の暗闇に秘めておかずに、神様の光の御前に持っていくことにした。
信頼できる友達の前にも。
神様は、そういう空間にも入ってくださるから。
 
私は神学とカテキズムを専攻して修了した。
堅い神学にもどっぷり浸かった。
信仰についてもっと知りたかったから。
どんなに勉強しても、もっと知りたいと思った。
海外でも勉強して、いろんな旅行もして。
奉仕活動もした。
 
要するに、私たちは毎日、キリストに従うことを選ばないといけない。
天国が本当にあるって信じているなら、
神様が、私たちを永遠の愛のために造られたと信じているなら、
私たちの旅は喜びそのものだ。
 
私たちは前進する。
望みを満たすために。
私たちが望む究極の至福の方向へ進んでいく。
最終目的地へ。

 忘れてはいけないこと

女の子に惹かれなくなったわけではない。
「この子とこうなったらいいな」って、
一瞬想像しないわけでもない。
でも、心のもっとも深いところで私が求めているのは、キリスト。
私が望むことは、魂の真の恋人=キリストとひとつになること。
 
イエスは、結婚や離婚について質問を受けた時に、こう答えた。
まず、創世記のエデンの園について話した。
世界の初めに、男と女が造られた時、
二人はお互いが一つになるように造られた、と。
この交わりは、命を生む。
 イエスはそう語った。そして、私はイエスを信じる。
 
これが、全体像の中でしっくり来ることも理解している。
だから男性性の独自性、女性性の独自性が重要なことも分かっている。
そして、これに反することを選ぶのなら、私は私自身を否定することになってしまう。
 
私たちには共通の源がある。
共通の運命がある。
そして、そこに到達するまで、同じようなグチャグチャもある。
 
私たちは皆、神から来た。
みんな、神様の似姿として造られた。
誰にも奪えない尊厳を持つ。
 
私たちはよく、人間の主体性を忘れてしまう。
私たちには、キリストを選ぶ力があるということを。
仲間を選び、自分のもろさをさらけ出すことを選び、
祈りを選ぶ力があることを。
 
キリストに従うこと。
神の恵みに生きること。
神のいつくしみに信頼することは、日々の選択だ。
この永遠の神の素晴らしいところは、
私たちに無限の道のりを準備してくださっているところ。

旅は始まったばかり

 私が妥協したくなる時は、だいたい疲れている時。
その時、ついこう思ってしまう。
「私が神に願って望んだものは、絶対に実現しないんだな」って。
 
でも、なんて時間の無駄! こんなこと心配するなんて。
私たちの神は信頼できる神で、必ず約束を守られる方なのに。
 
この旅路はずっと続いていく。
やっと到達したかと思えば、その時こそ、実は取り逃がしていたりすることもあったりして。
 
「神への憧れ」の中に、一歩踏み出そう。  

Eden  Invitationの "Who we are"からの抜粋

旅仲間のみなさん、
私は何者か? あなたは何者か? 私たちは何者か? という問いの答えはシンプルです。
 
私たちは、望まれ、愛されている、唯一無二の存在です。神の似姿として、男と女に造られた、父なる神の家族に加えられた、息子と娘。イエス・キリストの十字架の神秘によって贖われ、秘跡の生活を通して、聖霊のあふれる豊かさによって生かされている。
 
私たちは人間です。弟子です。夢を見る人です。傷ついています。恵まれています。奮闘中です。
 
私たちは専門家でも、セラピストでも、神学博士でも活動家でもありません。ただの、複雑な人間です。あなたのような。
 
Eden Invitationは私たちのプロジェクトです。冒険の旅にようこそ!

動画へのリンク: Anna's Story


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