うそつきの晩餐
中学の頃、図書室でよく借りる本がありました。うそつきの天才という本です。
自分を優等生と騙る少年がテストの点数を誤魔化せなくなり家出をする話、思春期になり文学に目覚める話が書かれています。この本を手に取ったきっかけは簡単で、私は自分を嘘つきの極悪人だと思っているからです。
事実、幼い頃の私は酷い嘘をついたり物を誤魔化そうとすることがありました。テストは「如何に自分のケアレスミスの言い訳をするか」を考えていたし、テストを捨てて無くしたフリをしたこともあります。クラスメイトとトラブルになり、私の非を責められ肩を掴まれた時は「肩痛めてるのに」と泣いてその場を乗り切ったこともあります。意識せずとも涙の溢れた自分に感心したほどです。
母に「嘘をついたら二度と信用しない」と言われてからの方が嘘が酷くなったような気がします。嘘を重ねてでも母に「こうありなさい」と言われる自分でいられないことを少しでも隠したかったのです。今なら「小学生の頃の成績なんて人生の中でそんな影響力ある?(反語)」と思えるし、むしろその気持ちでいる方が活躍できたのではないかと思いますが。
嘘つきの自分よりも劣った自分を見られることが耐えられない、家を捨ててしまう方がマシだという多感な少年がどうしても他人事に思えなくて、私にしては文字の大きいその本を繰り返し読みました。ただ、私はその本を楽しんでいるという気持ちも勿論ありました。
食事が印象的だったからです。家出の最中、ひとりきりでどことでもないような場所で食べるものは、一体どんな味がしたのでしょうか。さもしい逃亡生活と裏腹に、食事の味は妙に新鮮でリアリティがあるように感じられました。
まず、家出をするために彼は家族に公衆電話から連絡をいれます。電話に出た母に対しこれが最後の会話になるのか等と考えつつ、少年は流暢に嘘をつきはじめます。
「同じクラスの友達の家でキリスト教について勉強するつもりだ。子羊のステーキ、クリームがけとポテト、デザートにミルクのかかったプラムの砂糖煮をご馳走になった。今日はその友達の家に泊めてもらうことにした」といった内容だったと思います。友達のママと話がしたいという母に「おばさんはトイレに入ってるから話せない」と答え、電話はそのまま切ってしまいました。逃亡生活の始まりです。
私はこの頃から「プラムの砂糖煮」に憧れがあり、そのためだけにプラムを買って帰ったこともあります。赤毛のアンなどに登場する欧米家庭のデザートは、私の(食べたことがないけど)大好きな食べ物です。
他にも、住宅街に植えられた木の果実をもぎとりアパートを回って安価で売る場面もあります。「とりたての果物」とは言うものの、あまり上等ではなさそうです。それでもなぜかとてもみずみずしく食べてみたくなるのが不思議でした。「学校で必要なお金(修学旅行的なものだった気がする)の足しにします」と言いながら果物を売ったお金は、黒パンとソーセージ、そして1リットルの牛乳になりました。「牛乳を一口飲んではパンをかじった。久しぶりにいい気分になった」と書かれていて、やはり基本の食事というのは安心できるものなのだろうと思った記憶があります。
その後、少年は警察に捕まると「眠れなくて散歩していただけです」と適当な住所を言ってその家へ駆け込みます。しかし当然その家の女性が知らない男の子を受け入れてくれるわけもなく、結局警察署へ連れていかれました。その時にもらったのがコーヒーと干からびたクリームパイです。初めシチューのパイのようなものかと思いましたが、「干からびた」クリームパイとは、恐らく職員がつまむために置いているけどずっと食べてもらえず賞味期限の怪しいおやつのパイだと思います。バターの少ない不味いパイなら「ぱさぱさ」等と表現すればいいのに「干からびて」いるのだから、ちょっと変な味だったのかもしれません。コーヒーも相まってさぞ苦々しいおやつタイムになったのでしょう。
さて、無事帰るつもりのなかった家に送り届けられた少年は、本人の予想に反して両親に優しく迎え入れられます。そしてサンドイッチを食べながら、「どうして正直に言わなかったんだい」「恥ずかしかったから」という会話をします。サンドイッチは本来ギャンブル狂いの伯爵がトランプをしながら効率よく食事をするために生み出した食べ物ですが、それ故に手軽に栄養補給をすることのできる食べ物です。行方不明の息子が見つかったと連絡が来て、母は急遽キッチンへ向かいサンドイッチを作ったのかもしれません。それはパンの耳も綺麗に切り落とさず、重石も十分にできていないような、本当にありあわせのサンドイッチだったとしても、母が温かい飲み物と一緒に出してくれた息子の体を気遣うサンドイッチなのであれば、きっと少年にとっては子羊のステーキより価値のあるものです。まって最後のこの一行くそ長くね?()
最後にもうひとつ、私が印象的であった食べ物があります。
逃亡生活をしていた少年は思春期になり、一気に印象が変わりました。「そばかすが増え、好きな色は金から茶色になり、書店の赤い爪の女の人に恋をした」とあります。うそつきの天才は男性へ成熟する過程で文学の才能に目覚めるのです(そりゃあんな口回るんだから地頭いいんだろうなと思ったことは黙っておこう)。
少年はあるクラスメイトと常に作文で競い合っており、負けた方がアイスクリームやパフェなどのデザートを相手におごるのです。何度も互いに勝負をしかけ、ついに決着をつける日、何度目かの作文の時間がやってきます。
しかし、ライバルのクラスメイトがその日先生に褒められた作文は、ある作品の盗用でした。シナリオの流れをパクった等ではなく、丸々書き写したものを持ってきたのです。ライバルは得意げに教卓から作品を読み上げ、クラスからは大きな拍手が起こります。少年はばらしてやると悔しい思いをしながらも、その場では何も言えません。
ですが、その拍手の中で先生は少年にも作文を読むよう指示するのです。指名に戸惑う少年は、先生に促されてある家族についての作文を読み始めます。作文には少年が家族としてペットを迎え入れてから、最愛の家族を看取るまでの思い出が綴られていました。クラスは感動に包まれ、先生は少年の作文を一番とし、ライバルも少年のことを認めてハッピーエンドです。
そして、少年は勝利のデザートを味わいながらこう締めくくります。ペットなんて飼ったことはない。ただ僕は本心から書いた。
創作者は実現しないからこそ書く、描く。非現実であるから理想を最高の形で唄う。少年はそれを理解し、自身のうそつきを創作に昇華させたのだと。今の私は、「飼ったことないんかい!」というツッコミだけで物語を終えることはできませんでした。
ただ食べたことのない甘い香りが、チョコレートアイスの少しほろ苦い甘味が、削られた黒鉛と木の匂いと共に妙に舌に残るのです。
改めて書き出すと曖昧な部分も多いね…中古でもいいから手元に置こうかな……。