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勉強がない学校

『勉強がない学校がいい!』と思ったことないですか?

勉強を押し付けても逆効果なのでしょうから、あまり深入りしたくはないけれど、子どもの話の節々から、既に、他人と比べて生きているという印象を受けます。
「あの子は、僕・私よりアタマがいい。」など…。まだ運動神経が良いとか、面白いなどの話も出るので救いがありますが、競わなければならない場にいるのだなと感じるのです。

 ある程度の基礎学力は大切ですし、競い合うという手段も大事だと思います。日本の今があるのも富国強兵の号令のもと、広く遍く日本全体で、高水準の教育を提供してきたおかげであるのは否めないところでしょう。だからこそ、同じ一点を目指して競い合う従来のやり方は、現代の”個性を大切に”というスローガン的な風潮が建前だけではないものとすれば、やはり少しズレが生じてきているのかもしれません。

 小学校の頃は、足が速いとか、ドッジボールが強いとか、漫画を描くのが上手い、面白い、優しいなど、お勉強以外の色んなことで、子ども同士認め合っていたような気がするのですが、その後の学校では、主要教科の成績、いわゆる”お勉強”という一つだけのピラミッドのなかで格付けしあう偏重評価を刷り込まれてしまったのかもしれません。”個性”を引き上げるのであれば、いろんなピラミッドがないといけないのではないかと思いますが、これに近い手法をとっているのが、オランダやドイツです。オランダの学校では、100あれば、100の異なる教育をしているようです。エリート養成、職人養成、宗教・文化の違いでも細かく理念、教育方法が異なり、保護者が自由に選ぶことができる制度です。ただし、これを実現にするには、システム全体を変えなければできない芸当です。教育は国の根幹ですし、面舵いっぱいに百人百様政策に振り向けることは今の日本にはできそうにありません。と言いますか、ヨーロッパのスーパー個性尊重システムを日本に持ってきても、受け入れる風土が異なるのではないかと思います。

  さて、「職業に貴賎なし」と言いますが、学校のときから”お勉強”というたったひとつの尺度だけで能力を見てしまうと、社会に出てもその尺度だけで優劣を変に意識してしまうことにつながりかねません。自分の能力、趣向にあった適材適所が実現されたほうが、多様性を発揮して全体としてもよい相乗効果が出るのではないでしょうか。現に、オランダと日本の勉強時間、さらには勤務時間を比較しても、両方とも開きがあります(日本>オランダ)。それで学力も生活の質もそして、幸福感もそれほど変わらない、もしくは上回っているのであれば何か参考にすべき部分がありそうです。
 そのうちのひとつのヒントとして、日本で言えば、道徳や倫理に入るのでしょうか、オランダでは「自分や他人をどうやって尊重するか?」というピンポイントの趣旨の科目があると言います。”自分は他人と違うこと”、”それぞれの能力があってどのように社会がつながっていくか”という言わば当たり前ですが、”自分の幸せのために適した道を歩んでいくべきだ”という指導ですので、学歴なんてほとんど気に仕合いません。”たとえ、小学生で留年したとしても、本人のペースでじっくり勉強するためであり、別に恥ずかしいことではない”そんな雰囲気があるくらいです。まさに、日本の謎の横並び意識を取り払ってくれそうな内容ですね。
 日本の学校は、世界的にみれば誇れるところはたくさんあるはずですから、良いところは残し、たくさんのピラミッド、もしくは、最小単位の個人(自分自身)であればなお良いのかもしれませんが、多くの評価基準を増やして欲しいものだと思います。
 ここで誤解のないように改めて言わなければならないことは、生きて行くなかでは競い合いは避けて通れません。その選択した分野にもピラミッドは存在します。そのなかで頑張って結果を出すことも必要です。
 全員が同じ場所を目指すことは、今の日本にはもう必要ありません。急がずとも、早めに好きなこと、得意なこと打ち込めることに出会うことが出来て、学業と同等に評価を受けられるような状態になれば、子どもたちも、「勉強のない世界に行きたい!」なんて言葉は出なくて済むのかもしれませし、「学校へ何故行かなければならないか?」という質問の答えも見つかりそうです。
 そして、人は人、自分は自分で意識しすぎずに、でも認め合うというちょうどいい距離感のなかで、自分の場所を見つけられるような社会になってほしいと願います。

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