正しいだけでは生きて行けない
光藤明美さんという方がいる。
長らくご自身に体の不調があり、それに対峙した経験から、東洋医学における陰陽五行思想をベースに、身体の不調との付き合い方、考え方について広めていらっしゃる。
その方のメルマガを長らく読ませていただいているのだが、毎回うんうんと頷く内容で、頑なにがむしゃらに出口もわからず突っ走ってしまう多くの人たちに、優しく手を差し伸べてくれるような文章と内容なのだ。
最新のメルマガの内容を一部抜粋してシェアさせていただく。
↓
言うことは間違ってない。
むしろ正しい。
だけど、それを突き付けられすぎると
人は傷つくのです。
正しすぎて、傷つく。
あなたは母親でしょう?
だったら子供をちゃんと育てないと!とか
あなたは娘なんでしょう??
だったらもう少し親のこと気にしてあげて!とか
おっしゃることは正しいのですけど
そうできたらいいともわかるのですけど
なんでも世の中で正しいとされることに合わせて生きられるほど人生、単純じゃないと思いません?
だって、個人の努力じゃどうにもできないことなんて山ほどある。
人によってできることもあればできないこともある。
複雑に感情がからむことだってある。
そこを、裁くべきではない、ということなんですね。
陰陽五行は、何が悪いとか何を正すとかではなくてそれぞれの違い、特性を知る、というのが一番大事ではないかなと思うんです。
そして、バランスが良い時と悪い時を知り、ブレてもいいから元に戻る力をつける。
それが「自然治癒力」なんだろうと。
(中略 )
良い、悪いで決めてしまえば
実はカンタンなのですね。
どちらかに振り分けて枠にはめたり
合わないものは却下したり。
だけど、そうなると人のココロって
殺伐として余裕がなくなると思うのです。
迷子になった2歳の子を
ボランティアのおじいちゃんが見つけたのに
「2歳児に飴玉あげるなんて!
喉につまらせたらどうするんだ!!」
と、正当性を突き付ける。
月旅行を発表したZOZOの前澤社長に
「そんな金あるんなら寄付をしろ!」
と、前澤社長がすでにいろんな支援を
していることも知らずに非難する。
なにか、余裕のなさを感じてしまうのは
気のせいではないと思うのですよね。
といいつつ、ああ、私も
こんな風に非難する人たちに
「そうではないでしょ」と
正当性を訴えているのでしょうね(^^;)
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引用ここまで
そっかあ、私たちは知らず知らずのうちに自分も含め、周りの人を裁いていたんだ。と目から鱗が落ちる思いだった。
特にまず私は、自分の子どもたちに対して、こうすべき、これが正しくてこれはダメっ!こんなことをする子はけしからん!というように裁きまくっているなぁと。
たしかに社会的には大人である私が言っていることは正しいのかもしれないが、子どもであるがゆえに周り道をしてしまったり、脇道に逸れたりすることは当たり前にある。
それを凄い剣幕で怒ってしまうことがある。
しかも何度も同じことをするから、こちらも何度も何度も激昂する。
(いつもいつも酷く怒るわけではないのだが、余裕がないと特に...)
そして自分に対してもそうだ。
こうあるべき、これができてない、何でもっときちんとできなかったんだろう、などなど。
ある時、尊敬する薬剤師の先輩の方に勉強の仕方や悩みを相談したことがある。
その方はとても頭が良く、要領も良く、そして何より「正しい」。
正論すぎて何も言い返したり意見ができない。
相談した時にも、はい、おっしゃる通りです、すみません、何もこちらから言えることはありません、というくらいに正論をキツくハッキリと言われて、ものすごく落ち込んだし、なんか窮屈な思いがした。
言われていることができていない自分はまるで価値がないのではないか?と思うほどに。
おそらくはその先輩の方は、アドバイスと称して、私について裁いたのだな、と。
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科学が進歩して、白か黒か、ここからが正常でここからが異常、ターゲットはココ!と、とある一点や、ハッキリとした境界線を引いて物事を明示することが多くなった。
でも人の身体も含め、思考や思想や心理は、そんなにビシッと一点や厳格な境界線で示されうるものだけではないはずだ。
揺らぐこと、
頑張っても報われないこと、
自分ではどうにもならないこと、
その一点や境界線の周りに漂う様々なもの、それも含めて全てが人の考えや行動、感情、また身体自身をも構成しているのではないか。
もっと本当は曖昧で形がなくて、分け難いものなのかもしれない。
だからこうあるべきという「正しさ」を振りかざして、裁いてはならないのだ。
多分裁く人は悪気はないのかもしれないが、その「正しさ」を振りかざすことで、自分自身の存在価値を確認、証明したいのかもしれない。
私も含めきっと誰しも裁くことを無意識にやってしまっている。先ほど例に出した先輩まで極端でなくとも。
だから正しさを振りかざして裁いている現実に気づくこと、
そしてまず自分のことを裁くのを減らすこと。
そうしていけば随分と生きやすくなるのではないか。
自分自身が作った固い檻を壊してみようと思った。