よそもんの花 2019.8.25トークイベント書き起こし ゲスト小吹隆文
茶ろん坪六で行った個展「よそもんの花」のクロージングイベントとして
種をまくプロジェクト上映会とトークを開催しました。
安田は2007年3月まで滋賀県に住んでいたので、会場には友人・知人が25人ほど集まってくれました。😃
そしてトークイベント【関西1995-2005アートシーン】
ゲストは関西で長年アートライターとして活躍されている小吹隆文さん。
安田が貸し画廊で個展をしている頃からの知人です。
小吹 映像を見て、まず記録の重要性を感じました。画廊以外の場所で作品を発表するという小さい動きはいろいろ当時もあったけれど、記録をとって見せやすい形にして、見せるということをやっていない。それをバイリンガルも意識していて、初期からやっていたのが「具体美術協会」。他のグループは作って終わりか、かろうじてポスターが残っているぐらいのものが多い。
安田 種をまくプロジェクト以外の実物作品は、捨ててしまってほとんど残ってないですよ。
小吹 インスタレーションだからですよ。去年80年代展をやっていて、インスタレーションの作家は作品がほとんどなく、あっても部分だけとか写真だけを展示していました。種プロが5年で終了したのはなぜですか?
安田 長年続く団体を形成すると、団体を維持することだけに注力してしまって、在野であるとか、当初の目的を忘れてしまうと思っています。
小吹 その通りですね。
安田 94年ぐらいから貸画廊で個展をするようになりました。わたしは搾取されたくないと思って、別の方法を模索したのですが。
小吹 90年代初期は貸画廊しか選択肢はなかった。美大の先生が学生に画廊を紹介して展覧会をやるという形で形骸化している部分があったけれど、最初の70年代の貸画廊は、もっとラディカルで、実験的で、借りれば好きなことができる場所だった。僕はその部分で貸画廊制度はよいと思っています。
安田 もちろんそこに異論はありません。しかしわたしは既存の制度から別の発表形態を模索して97年にシールの作品を美術関係者に送るとか、自宅で展覧会を開くなどの方法を実行しました。今ではアーティスト・ラン・スペース(アーティストが運営する発表の場所)と言って一般的になっていますが、その頃はあまりなかった。 そして、そこから種をまくプロジェクトになっていきました。
詫摩 自宅展は小吹さんが雑誌「ぴあ」に掲載してくれて、それで、自宅に全く知らない人が来ることになった。3週間無休で開催しました。昨日8月24日は名古屋でイベントを実施したが、当時の自宅展に来たという人が来てくれて、その頃は珍しい企画だったと言って、当時のチラシなどを保管したものを見せてくれました。
安田 自宅展は、その前に岡山で自由工場をやっていた京都市立芸術大学の井上明彦さん、神戸芸術工科大学の森下明彦さん、などがこられました。当時は外でやることがまだ少なかったので注目されました。わたしは95年にワタリウムであった「水の波紋」の審査でゲント市美術館館長のヤン・フートに会った時、知り合った東恩納裕一さんがスタジオショウをしているという話を聞いて、自宅展を開催しました。
小吹 2000年代の終わりぐらいに、京都で作家がグループでスタジオを借りて、展覧会をするのが流行した時期があった。安田さんは個展形式も並行して続けていたんですか?
安田 いえ、やってないですね。周囲がコンセプチュアルな作家だったので、個人名かグループでやるのかはっきりさせなくてはいけないと思って、個人名の個展の資料はHPから消してやってきました。芽が出るプロジェクトを10年やった後、2018年の個展の前に復活させました。
小吹 「関係性の美学」(コミュニケーション自体を作品とすること)そのものは90年代初めからありましたが、注目されだしたのは2000年代以降から。そう思うと、安田さんのコミュニケーションをテーマにしたプロジェクトは先駆的ですね。
安田 ありがとうございます。基本的に交歓による見えない彫刻を構築していて、風船を飛ばすイベントを年一回以上するという以外、何をしてもよいと決めていたので、他者の力を借りることで広がりが持てたと思っています。
詫摩 西前くんも3回目にかなり手伝ってくれましたね。
西前 そうですね。公立文化施設に勤務していましたが、個人としてできることをやりました。少しづつ広がって来た個が公と近くなってくる感じが興味深いです。
小吹 そんな安田さんが、今回の個展では油絵ということで、驚きました。DMの絵を見て何かのセットかと思いました。2006年に亡くなった画家の館勝生さんがずっと同じような作品を描いていたけど、実は年によって少しづつ違うんですね。安田さんの場合は切り替わりがすごい。この思い切りの良さはなんですか?
安田 画廊ではインスタレーションの展示だけだったので、小吹さんは初めてわたしの油絵をご覧になったと思います。学生時代の恩師である村岡三郎は鉄の作家と言われていて、周りは鉄の作家で巨大な作品でした。その中でわたしは、自分でも持てるぐらいの軽さでボリュームを出せる紙のようなもので、身体性や女性性を生かしたいとは思っていますが、素材や手法を決めつけられたくないと思って色々な材料・手法を使っています。
小吹 なるほど、美術って一言で言い表せないと思ってたんですが、美術評論家の加藤義夫氏とイベントで一緒になった時にそれじゃだめだと言われて、その後「価値観を広げていくもの」と言うようになったんですよ。
安田 先週、美術教育学会があって、「ゴールポストギリギリを狙う」という話が出てまして、真ん中を狙う人もいれば、わざと外す人もいますから、なにが正解かは言えませんが、可能性を引き出したり、既存の価値観をひろげるというのはその通りだと思います。
この後、関西の現在の美術館、滋賀の情報などについて参加者からも様々な意見が出ていました。
ご参加いただいた方々、講師の小吹さんに厚く御礼申し上げます。
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