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「言葉よりも大切なもの」を教えてくれた先生の話
今回のかきあつめテーマは、「#忘れられない先生」である。
私の忘れられない先生は、小学校2年生~中学生卒業まで通っていた書道教室の先生だ。
小学校2年生の頃、私は書道が習いたくて教室を探していた。当時、書道教室は近所に複数あり、その中から小学校のクラスでも主流の2つに絞って迷っていた。今思えば失礼なのだが、「先生がどんな顔しているのか知りたい」と言い放ち、既に通い始めていた友人にお願いして、先生のご自宅の玄関先までお邪魔した。友人が先生に事情を説明してくれ(言葉のまま伝えてくれた)、先生は現れた。そして満面の笑みで言ってくれたんだ。「こんなお顔をしていますよ。」それが私と先生の出会いだった。
それから、私は先生の生徒になった。先生の教室は、我が家から走って10秒(途中、十字路があるので安全確認を含めると15秒くらい)のところにあった。そんなに近所なのに一度も先生に会ったことがなかったのは、親世代より一回りは上の世代の先生と関わる機会がなかったからだと思う。
先生の教室は、いつも賑やかで楽しかった。近所の子供たちの集まりだということもあり、みんな仲が良かったのもあるけれど、それ以上に先生が私たちを尊重してくれていたからだと思う。私たちは、その日学校であったこと、最近面白かったこと、噂話等を夢中になって話した。夢中になりすぎて手元が疎かになった時は、「はい、みんな集中しなさい!」と、びしっと注意されたのだけれど。先生の指導のお陰で、我々は次々と結果を残した。文化祭や書初めシーズンになると、それぞれが何かしら賞を持って帰ってきては、先生に報告していた。
先生は、よく私のことをこう褒めてくれた。「あなたは本当に頑張り屋さんね。」
私は、喋りと同時進行で手を動かし練習を積み重ねたため、外が暗くなるまで教室に残っていることも多かった。そんな時、先生は教室の外に立ち、直線距離50メートルもない道のりを私が家に入るまで見届けてくれた。嬉しくて何度も振り返り手を振ったのを覚えている。今思い出してみても、何て幸せな時間だったのだろうと思う。先生の教室には、中学卒業まで通った。
それから時は流れ……大学生になった私は、少し難しい時期を過ごしていた。何だか色んなことが信じられなくなったのだ。人の言葉の裏を考え、言葉と行動の不一致に嘘や矛盾を感じては、潔癖なまでに周りの人、自分自身までもを拒絶していた。とても子どもだったと思う。
そんなある雨の日のことだった。最寄り駅に行くためにバスに乗ると、先生が先に乗車していた。先生と会うのは5年ぶりくらいだったと思う。席に座っていた先生にご挨拶をすると、先生は真っすぐ私の瞳を見つめて微笑み、両手で私の右手をとった。そして、静かに「大きくなって」と言った。その瞬間、私は「ああ、本当だ」と思った。先生の眼差しと、掌から伝わる感情に、私が探していた「本当」を見つけた。言葉と行動と全てに嘘がない、心からの言葉だと感じたのだ。「私、居ていいんだ。」と思えた。不思議な感覚だった。
今でも時々、あの日のことを考える。握ってくれた右手を見つめる。より鮮明に思い出したくて、私は目を閉じた。先生の温かい眼差し、ひんやりとして、さらっとした柔らかい手は、優しく、でもしっかりと私を包んでくれていた。思い出す度に胸が熱くなる。気が付いたら、私は泣いていた。
あの瞬間に教えていただいたのは、「言葉よりも大切なことがある」ということだったのだと思う。もちろん言葉は大切なものだ。けれど、それ以上に「その言葉にどんな想いが込められているか」こそが大切なことなのだと気づかされた。
自分の発する言葉に想いを込められる人、言葉によって誰かの心を温められる人、私もそういう人になりたい、と思う。
編集:アカ ヨシロウ
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