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母は惹き寄せ女?

4月19日にCTと骨シンチの検査が終わりました。

迷いに迷って、でももう引き返せないところまで来ていたので、これが最後だ!と腹を決めて母を病院まで連れて行きました。

どちらの検査も放射能を浴びるしドーム型の検査機器に押し込まれ圧迫感が半端ない。。。

普段から細胞の動きを鈍くさせるものを遠ざけ、かつ閉所恐怖症の私にとっては、この上なく嫌なもの。

でも同じものでもどう感じるかはその人次第。

人によっては日本でも最高峰の病院の一つで治療が受けられるなんてこの上ない幸せと思っている人も少なくないだろうし。

あまり余計なことは言わず、「じっとしていればいいんだよ」「嫌ならやめていいんだよ」とだけ母に伝え、検査技師には、母の記憶が極端に短く常に見ていて欲しいこと、仰向けの姿勢だと腰がつらいことを伝え、あとはお任せするしかありません。

実際、どちらの検査もきちんとじっとしていて画像もしっかり撮れたようです。そして本人もそれほど大変だとは思わなかったようで終わってみればこんなものかと拍子抜けしました。

でも、「よく大人しく検査受けてくれたね」と言うと、
「お前がもう手配したんだから困らせちゃ悪いから」と大人の回答が。
母らしい行動です。

今日になって、東京から静岡県の自宅に移動して疲れたこともあるようですが少しだるそうです。夜も21時には寝てしまい、未だトイレに起きていないので相当熟睡しているようです。

骨シンチの前に放射性物質を静脈注射するのですが(実はこれが私は一番嫌だった)、これが内臓を疲れさせたのかもしれません。

検査技師は仕切りに余分なものはどんどんおしっことして出したいので、よく水を飲んで、トイレにも頻繁に行ってくださいと言っていました。

と言うことは、濾過する腎臓も疲れるし、解毒する肝臓も疲弊しているはず・・・。水もビタミンCももっと飲ませるべきだったと、今頃猛省しても遅いのでした💦

そしてタイトルの惹き寄せの話に移ります。

最初のエピソードは惹き寄せと言うより「引き寄せ」ですかね。

母の担当医は乳腺外科の名医としてランキングされているような方でした。
Wikipediaで見ても、何冊も本を書いていらっしゃって、患者ファーストで非常に謙虚な人柄だとの評価も受けているようです。

片田舎の市立病院からポンと飛び込んできたのに、なんと幸運な。

医師と患者(家族も含め)も所詮人間関係ですから、相性もあれば志向も違う。

そもそも名医の定義の解説もなく、本当に幸運かどうかは神のみぞ知るところでしょう。

それでも、経験豊富な先生に診てもらえると言う余計な心配はしなくてもよさそうです。


もう一つの「惹き寄せ」は今日の電車の中での話です。

前回の投稿でも以下のようなメッセージを長年お付き合いのある方にいただきました。

「お母様は包容力や母性愛みたいなものが高く人としての魅力が溢れています。人を幸せにしてくれる雰囲気をお持ちで私自身がそうでした。

私はそんなお母様に魅了され少しでもKellyさんご家族とお幸せな時間を過ごして頂きたいと、つい感情が揺さぶられました。

素敵なお母様に会わせて頂いたのも長くお付き合いして頂いている事もKellyさんに改めて感謝致します。」

こんな風に母を捉えたことがないので少し驚きました。

でも、事実、母は父も姉も私にも好かれていました。
姉も私もマザコンだと思います。

子供の頃、甘えたい盛りに甘えられなかった思いを未だに引きずっているのかもしれませんが。

そして、今日珍しい出来事がありました。

新幹線を降り東海道線に乗りこむと優先席が一つだけ空いていて、母を座らせました。私は立っていたのですが、母は風景を眺めるのが好きなので、隣の男の子の前を半分遮るような位置に立っていました。

しばらくするとその男の子が立ちました。
私に譲ると言う素振りもなく近くに立ったので、母が思わず声をかけました。
「ここ、いいの?座ってもいいの?」
すると男の子はコクンと首を縦にかすかに振ったので、ありがとうと素直に私が座らせてもらいました。

男の子は同級生も近くにいたらしくその同級生とドア付近まで移動しました。

私はある時から彼のブレザーの襟が内側にひっくり返っていることに気づきました。母にもこっそり伝えると、「そうだね、みんなの前で言うのも恥かしいと思っちゃうよね」と言う返事に黙っていようと思いました。

男の子は制服を着ていなければ絶対小学生と思われるような小柄な体格で、顔もあどけなく、背負っていたリュックもキレイだったことから1年生と分かりました。

娘より年下のなのに席をさりげなく譲ってくれた男の子に母性を感じないわけがありません。

目が合った時に、襟をひっくり返すジェスチャーでなんとか伝えようとしました。

が、彼には全く理解できなかったようで、近づいてきて「何ですか?」と聞いてきました。まったく無視されてもおかしくないシチュエーションでありながらわざわざこちらまで歩いてきました。

「襟がね、ブレザーの襟がひっくり返ってるの」
と私が言い終わらないうちに、母が座ったまま「私がやってあげる」と彼の肩へ手を伸ばしました。

流石にそれは体勢的に無理だと静止しようとしたところ一緒にいた友達も近づいてきていたのですが「私がやります」と直してくれました。

彼は丁重にお礼を言ってまたドア付近に徐々に戻って行きました。

電車は乗り換え地点に着き、最後のローカル線のホームへ向かいました。
我々はエレベータを利用するので、彼とは違うドアから降りました。

母は杖もつかず歩きますが、それは「恥ずかしい」というだけで、何らかの歩行補助が必要な状態だと私は思うのですが、とにかく急がせることはできません。新幹線に乗るときも目の前でドアが閉められた苦い思いをし、内心ヒヤヒヤしながら「急がないでね」とゆっくり進みます。

なんとか出発間際のローカル線に乗り込めてホッとしたときに、電車の入り口に例の男の子が立っていて、余計に笑顔が溢れ会釈をしました。

適当な席も空いていなかったので、車両の一番前(2車両しかないですが)の優先席にたどり着きました。

実家までもう少し、よかった!とほくそ笑んでいると、その男の子が目の前に現れました。向かいの席はがらりと空いているのに座る気配もなく、そのうち吊り革に捕まりこちらに向けて立っています。

これはかなり不自然です。
通常我々から見ると、彼の正面ではなく背中を向けているはずです。
普通に立って窓を見れば富士山が見えるのですから余計に違和感ありありです。

自然と目が合うので、思い切って話しかけました。

どこで降りるの?
お父さんの仕事が転勤が多くまた引っ越しなんだ
おばさんの時代はその学校中等部はなかったと思う
とか。

母は新たな話題を振れないので、彼と私の会話が続きます。

そのうち、彼の目的地に着きました。
彼は私には軽く会釈、そして母の方を向いたと思うと片足を斜めに出しながら両手で小さくバイバイをしたのです。

なんて可愛い。。
そして、彼が追いかけてきた理由がその時何となく分かりました。

自分のおばあちゃん、もしくはひいおばあちゃんに似ているとか、そういうことだったのではないかと推測しました。

そういえば、以前1年弱実家の店舗を借りてくれたお兄さんも母のことが他人と思えないと言ってとても気を遣ってくれたし、前回書いたタイマッサージのモトコさんにもあのような言葉をいただけたのは、母の、人への距離感をワープさせるような不思議な力があるような気がしてきました。


なんてことない「犬も歩けば棒に当たる」的なエピソードですが、社会から取り残された、誰にも必要とされていないと感じているであろう母とその子にとっては、とても嬉しい出来事だったのです。

数分後には何事も忘れる母が今回は未だに覚えているのは、きっと母も同じように感じていたのだと想像します。

認知症の母には「今」しかない。
過去の記憶もどんどん消え去っていくし、夢見る未来もない。
刹那的だけどただただその場を楽しくさせること、そして近い将来に訪れる苦難を少しでも軽くするよう努めること。

それが私の務めだと思っていますが、見知らぬ人にも協力してもらえた気がしてコロナやら戦争やらで何とも殺伐としたこの世の中でも、ひとときの充足感に浸ることができました。


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