余白と近道
東京は、何かやりたいことに対して一番近道を提示してくれる。
アサイーボール食べたいなと思ったら駅から徒歩5分のところに美味しいアサイーボール屋さんがあるし、3歳の時に「ミュージカル女優になりたい」て親に言ってたら日本一有名な先生のレッスンに通えていたはず。
東京には、全部ある。とりあえず、私なんかが思いつくような「やりたい」を叶えてくれるものは、全部。「やりたい」を叶えるために日本で一番良いとされるものが、集まったまち。
だけど生憎東京に生まれることができず田舎に生まれた私は、アサイーボールが食べたかったらセブンでまるごとシリーズのアイスを買うし日本一有名な先生のレッスンを受けられなかったから妹とお風呂で毎日歌ってきた。英会話に通えなかったから弁論大会に全力で打ち込んだし、塾に通えなかったからわからないところは自力でわかるまで粘った。
色々な「やりたい」を諦めてきたような気がしていたけど、少し見方を変えると自分で工夫して満足する方法を考えられる術が身についていたのだ、と。
近道が全てじゃない。余白があるからこそ生まれる創造がある。そこにちゃんと気づいて、幸せを感じられる自分でありたい