えんどうはな
<目標> ・頑張り屋さんな自分を認める ・弱さに自覚的になる
東京は、何かやりたいことに対して一番近道を提示してくれる。 アサイーボール食べたいなと思ったら駅から徒歩5分のところに美味しいアサイーボール屋さんがあるし、3歳の時に「ミュージカル女優になりたい」て親に言ってたら日本一有名な先生のレッスンに通えていたはず。 東京には、全部ある。とりあえず、私なんかが思いつくような「やりたい」を叶えてくれるものは、全部。「やりたい」を叶えるために日本で一番良いとされるものが、集まったまち。 だけど生憎東京に生まれることができず田舎に生まれ
最近の状況 こちらはどんどん日が短くなってきていて、15:30には日が沈んでしまいます。寒さにはまだ耐えられますが、日光が無いのが本当に辛い、、精神的に不安定な日が増えてきています。そういう時は迷わず休んで、回復に全振りしています❤️🩹 “いつも通り”を見つけた2ヶ月目 来て二ヶ月も経つと、最初の頃感じていた目新しさやワクワクはだいぶ薄れ、“いつも通り”の基準が出来てきました。いつも通りのご飯、いつも通りのベッド、いつも通りの通学路、景色、友達、生活…。 もちろん日本
最近の状況 スウェーデンに来てから1ヶ月と少し経ちました。早かったなあ 最近の私はというと、大学のテスト・友達との旅行・人間関係の色々など様々なイベントで一杯一杯になっていました。 時間的にも精神的にも自分と向き合って文章を書く余裕が持てず、そればかりか風邪を拗らせて部屋に引きこもる生活を強いられ・・・。 ネガティブ思考に拍車がかかってきたので自分と向き合い文章を書く時間を取ることに決めました。 1ヶ月経ちました この1ヶ月、色々なことが、本当に色々なことがありました。
今の状況 日本から飛び立つ飛行機を待つ時間にこれを書いています。 留学記録は投稿頻度も特に決めてないけど 留学で見るもの、日本から離れたからこそ見えたものをできるだけ言葉にできるように、頑張ります! ポンコツ日記① 自分は、本当に本当にやらかしだらけのポンコツです。日本にいるときは、家族や友達がそれを支えてくれ、笑ってくれていたのでポンコツなりに元気にやっていたのですが、留学中は自分で解決しなきゃ。 帰った時にはみんなに「ねえ聞いてよ!」てまた話せるように、書き留めてい
最近一番のニュースを勝手に話しますが、この度3年半住んでいた家を引き払い、地元に帰ってきました。これをきっかけに周りの人たちとの関わり方に変化が起こっています。 ここ4年間ほとんど帰っていなかった実家に帰り、家族と久しぶりに毎日一緒に過ごし、3年半福岡で続けたバイトを辞め、実家の近くで新しいバイトを始めました。大学にもほとんど行っていないので、自分が仲のいい人とだけ連絡を取り、約束してたまに会い・・・という日々を送っています。 この生活が始まった最初の頃は、必要最低限の刺
このコキアも相当可愛いけど、お父さんが育ててる実家のコキアは太ってて丸っこくて、これまた可愛い。 8月から10ヶ月間、スウェーデンに留学してきます🇸🇪 留学中は定期的に記録を書こうと思っていて、ずっと発信先を迷ってたけどここにします。なんとなく。 私は自分のメラメラとした負けず嫌いな部分や野心家な部分が嫌いで、普段はそれを抑えて抑えて、見ないようにして過ごしています。だけど最近は、そんな私を認めて褒めてくれる人たちが周りにいてくれているので、これも私だよなあと思えるように
この世界はとても複雑だ。 例えば「Aという状況ならBをする」「Cという状況ならDをする」というルールがあったとして、だけど私にとっては対峙する状況はいつもAでなければCでもなくて、Aと言うにもCと言うにも、あまりにも沢山のことがらを無視しなければならない。 小学生の時の理科で、晴れと曇りの定義を習ったけど、晴れでも曇りでもない時はあると思う。その中間が必要とかいう話ではなくて、境界を一義的に作ってしまうことに対する違和感。 言葉にするという作業も、複雑な対象の周りの小さくて沢
洋服や音楽、お酒や食べ物などの嗜好品に教養があって、自分の機嫌を自分で取れる女性は魅力的だ。 そして私にとって、そんな女性の代表例が母である。 今日は父にツウだねと言われて嬉しかった。
きっかけ ”なんかいい”の共感を作りたいと思ったことが、「人とモノのものがたり ランドセル展」を学部の助成金プログラム(KAPPA)に出そうと思ったきっかけでした。 自分の学部にいると、社会的意義とか課題解決とか、「もっとこうしなきゃ」という問題意識を、共感の引き金にされる場に立つことが多いです。 それが悪いと言いたいわけではなく、問題意識以外の、もっとふわっと温かい共感(当時はそれを”なんかいい”の共感と言っていました)を感じる場面はたくさんあるから、それを自分で作れたら
カヌレ大好き人間なのですが、遂に先日カヌレ型をゲット...! カヌレの香り、食感、形全部大好きなので型の段階(ただの金属の塊)でときめき止まらず。 今回は米粉で作ってみました、小麦粉のよりもちもちでおいしかったああ 手作りの醍醐味は自分好みの材料で作れること🫶
ずっと行きたかったけど勇気が出なくて行けなかった美容院にいってみた。 今まで色々と理由を付けて行ってなかったけど丁度私の頭がプリンになってきたタイミングで見た「移転します」というインスタの投稿。 私の家からはより行きやすい場所への移転と言うことで運命を感じ、これは行かねば!!と思い勇気を出して行ってきた。 そこでの会話が楽しくて面白かったのでその話を書きます✎ 出会って5分、美容師さんに言われたのは「よく変わってるって言われない?」 思い返すと、たしかに・・・!自覚はなか
「お姉ちゃんはいつも、私の世界を広げてくれる」 「お姉ちゃんみたいになりたいってずっと思ってる」 妹に会う前はいつも、少し、緊張する。 メイクと服装はばっちり仕上げる。 なぜなら、妹にとって”憧れのおねえちゃん”でありたいからだ。 今回も、妹が私に会いたいと言い出して、家族で来てくれたらしい。 私は何も家族の力になれていないと思っていたけど。 妹から逃げていると思っていたけど。 私が、妹にとって頑張りたいと思える存在であり続けようと努力することも、妹にとっての支えとなる
大学のプログラムで行ったフィンランドでの体験。思い出したときに、たまに投稿・・・するかも、しないかも。 フィンランド初日の夜12時。 「オーロラが見たい!」 お風呂から上がり、寝る準備は万端・・・だけどみんなと話したくてだらだら起きていた私は、ルームメイトのお兄さん二人に言った。 「じゃあ見に行く?」 そうやって始まったオーロラ探しの夜中のお散歩。 ヘルシンキの町並みを、お兄さん二人の後ろについて歩く。 「オーロラにまつわるすべらない話、ある人」 「お父さんが死
私は、一年半ほど前から敵と闘っている。 その敵は、突然現れる。 ある時は家族でご飯を食べているとき、ある時は朝起きたとき、ある時は将来について考えているとき。 そういった日常生活のなんでもないような出来事が、敵が現れるトリガーとなる。 二年ほど前に、今よりもまだ弱い姿で私の前に現れたその敵は、まず私の体を攻撃した。体への攻撃には、薬で対処した。しかし、体の攻撃を何とか食い止められたと思っても、敵は姿を変え、今度は私の心を攻撃した。心への攻撃は対処が難しく、またしぶとく辛いも
ちょうど私が、進学で実家から離れたくらいの頃からだろうか。 私の妹は、目に見えない敵と闘っている。 その敵は他の人には見えないので、妹と共に闘いたいと願っても、中々難しかったりする。 最近は敵が妹を侵食してきていて、目の前にいる妹が、妹なのか、敵なのか分からなくなることもある。 どうにかして妹の役に立ちたいという気持ちと、一緒にいることが辛いから、できるだけ距離を置きたいという気持ちの板挟みになっているこの頃。 妹にとって新しい世界を見るための一助になればと、週一で私の友
とうとう誕生日を迎え二十歳になりました。(時差あり) 二十歳になって驚いたのは、意外と周りの人は私に対する接し方を変えないし、むしろまだまだ”こども”として気にかけてくれるということ。そして一番変わったのは意外と自分の内側だということです。 何が変わったかっていうと・・・一言で言うのは難しいです。 例えば、寂しくて嫌いだった一人暮らしの家が好きになり、料理や読書、掃除など一人の時間を楽しめるようになったとか。 あ、この人苦手かもって思っても露骨に牙をむかず上手く距離を保ち