あいだにあるもの
この世界はとても複雑だ。
例えば「Aという状況ならBをする」「Cという状況ならDをする」というルールがあったとして、だけど私にとっては対峙する状況はいつもAでなければCでもなくて、Aと言うにもCと言うにも、あまりにも沢山のことがらを無視しなければならない。
小学生の時の理科で、晴れと曇りの定義を習ったけど、晴れでも曇りでもない時はあると思う。その中間が必要とかいう話ではなくて、境界を一義的に作ってしまうことに対する違和感。
言葉にするという作業も、複雑な対象の周りの小さくて沢山あることがらを無視して、無理やり共通で持っているルールに落とし込むような。「わくわくする」って言ったって、心臓が飛び出そうな、動悸のようなわくわくかもしれなければ心がふわーと満たされる充実感のようなわくわくかもしれない。そんなことに違和感を覚えながらも、「わくわく」をわくわく以上の言葉でうまく伝える語彙力を持っていない私は、いつも沢山のことがらを無視してしまう。
複雑なものを複雑なものとして捉えられる時間はすごく大切で安心する。だけど社会ではそうじゃない方を求められるし、そうじゃない方を上手にできる人が"できる人"だ。
「感想はありますか」
「あなたの長所は」
「タメになりました」とか「コミュニケーション能力です」とか、社会で沢山使われている言葉でその質問に答えるのはなんとなく嫌で、違う言葉でなんとか説明しようと頑張ろうとしても、気づいたら私の答える順番が回ってきているし私に与えられた尺なんてせいぜい10〜30秒くらい。足りない。
さてこの議論には出口も解もないから、このnoteをどう終わらせたらいいかわからない。
一つ言えるのは、こんな出口のない議論を「この世界は」なんてクサイ始まり方をする文章にして、SNSで発信できるようになるなんて、4年前の自分は想像もしなかっただろう。
こんな議論を一緒にしてくれる人や似たような疑問を持っている人に出会えたこと、そのおかげで自分の中の疑問と向き合う勇気を持てたこと。私の大学4年間は、こんな4年間だった!まだ終わってないけど。