論理と感情
「人とうまく話す方法」という内容で、患者にレクチャーをする機会があり、最近はその準備をしている。
私はもともと重度のコミュニケーション障害があり、口下手で、失礼で、誤解されやすく、異性や偉い人の機嫌を損ねることに関しては天性の才能がある気がしている。ちなみに心理検査で測定したところ、言語性IQと動作性IQが40くらい離れており、なかなかの本格派である。ゆえに、かつての私を知る人が、私が他人にコミュニケーション技術について教えるなどと知れば、噴飯ものだろう。
、、、と自覚した上で、大学生くらいの頃から真剣にコミュニケーションスキルについて考え続け、今もその道のプロの端くれとして飯を食っている身なので、コミュニケーションの本質については一家言ある。理論を学び、仮説を立て、試行錯誤を重ね、失敗を繰り返し、ほろ苦い記憶の集積ともにたどり着いたほのかな悟り。
それは「感情で話す」ということである。
勉強が得意だが空気が読めない人、というのは論理で思考し、論理で話している。勉強はからっきしだが人当たりがよく、世渡りがうまい人というのは、感情や空気で思考し、感情や空気で話している。人間の思考には論理と感情という二つの軸がある。その原理に気づくまで、私は30年くらいかかった。
面白い話があれば「ウケるね」と言う。びっくりする話があれば「ヤバいね」と言う。苦しそうであれば「それはキツいね」と言う。距離感によって敬語やタメ口に変えたりするが、原則はそんな感じにするとうまくいく。時系列や登場人物のプロフィールを詳細に尋ねて事実関係を吟味したり、トラブル発生の因果関係についての考察を長々話したりするような人間は、モテない。
ちなみに、「感情で話す」はテクニックのごく一部であり、話し方に魅力のある人はもっと多数の細かな技術を組み合わせている。私は個人的に元カリスマホストのローランドを参考にしている。あとは職場や様々なコミュニティにおける「人気者」の立ち居振る舞いを観察している。その研究の成果をこのようなnote記事にこっそり書いたりするのを趣味にしている。けっこう嫌な奴である。
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