happiness. みずからの有害さに無自覚でいることが幸せなら私はずっと不幸なままでいい。 諦められない。 子供のころはあまり夢を見る方ではなかった。 大人に、20歳になって最近よく夢をみる。 かなしい夢をみる。 愛おしい夢をみる。 大切な人の夢をみる。 私を大切にしてくれた人の夢をみる。 目が覚めると慌ただしい。朝である。 悲しみを飲み込んでコンタクトレンズを付ける。 鏡には幸せそうな女が写っていた。 薄情な女が写っていた。 鏡に写った自分をみる度にうっすら絶望が
灰色の世界で歌を歌う。 冷たい世界で歌を歌う。詩を書く。 せめて私が作る世界は暖かくあるように。 きっとこの世界は私が思うほど冷たくはないけれど、 人の世は冷たく暗くあって欲しい。私が光になりたい熱になりたい。 幸せというものは、何か特別な機会に感じるようなものだと思っていた。 サプライズをしてもらった時、好きだと言われた時、手を繋ぐ時、抱きしめる時、それから。 最寄り駅から、築40年のボロっちいが家賃は安い。そんなアパートまでの道、緩やかな坂をクタクタの足で歩く。むくん
幽霊の作り方をご存知だろうか。それはとてもシンプルな方法である。 例えば交差点。例えば小学校。例えば病院 人目につかない壁際に花束を置いておく。 そして、その事をすっかり忘れてしまう。忘れてしまって数週間、数ヶ月たった後にふとその場所を通りがかかる。 事故にあった親子、いじめを苦に自殺した女子生徒、医療ミスで若くして亡くなった患者。あなたによって作られた彼らに出会うことができるだろう。 あなたをきっかけに人々は起こったであろう悲劇を想像する。花束が悲劇の象徴となり幽
これは私の父方の田舎での話です。 そこは瀬戸内海に面した漁村で、昔はそれなりに人が居たようですが今となっては限界集落一歩手前の小さな村です。 学生の頃は夏休みの度に父に連れられ父方の祖父母の家に遊びに行っていました。母は義両親との仲が上手くいっていなかったようで、大阪に残り一人の時間を満喫していたと大人になってから聞きました。 私はその田舎町を気に入っていたのですが、盆になると行われるその村独特の行事は都会暮らしの私にとっては薄気味悪く、内心いやいや参加してい
正直、私はほとんど地元を離れたことがない。 しかし時々地元の街を歩きながらここがどこか遠い閑静な田舎町のような感覚になることがある。 生活を離れ、どこか知らない町で静かに過ごせたら 3年に1度訪れる全ての人間関係をリセットしたい衝動に似た、私の知っている全てを捨てて誰も私を知らない、私自身もそこに居る誰もかもなにもかも知らない町で過ごしたい衝動。 今の生活を捨てられないにも関わらず私は遠くの町を思う。 叶わない願望が散歩中の幻覚に昇華されているのだ。
私の家からすぐ近くの高校(家バレ怖いので高校名は出せません)の話なのですが、昔から夜中の2時くらいになっても電気がついていることがあって誰か住んでるのかなと不思議に思っていました。 ある日確か、9時頃に学校の電気のついている教室が気になって覗いて見ました。そこには50代後半(?)くらいのおじさんが生徒の机の中身を色々出して何冊かノートと教科書を持ち去っているのが見えました。小汚い格好をしたおじさんで先生のようには見えませんでした。用務員さんかな?とも思ったのですが、ただ
半年くらい前にあった怖い出来事(オバケ系ではない) 家でボーッとしてたら母校の先生から電話がかかってきた。って言ってもその先生は私が在学中に居た先生じゃないから面識とかはない。 最初はなんかすごい最近の高校の活動とかの話してくれて、あーコロナで大変やけど後輩達は頑張ってるやーとか思ってたんだけど 段々「就職先はもう決まりましたか?」とか 「大阪から離れるんですか?」とか個人的なことを聞かれて(なんでそんなこと聞くんやろう?) って思ったから 「それで、今日はなんでお電