私の仕事と私のかわり。
今日は会社でちょっとした事件があって、いろいろ思うところがあります。
会社の同僚が過労で入院しました。
少し前から疲れている様子だったり、さえない表情をしているなと思ってはいたのですが、ここに至るまで助けてあげられませんでした。
状況は詳しくは知らされていませんが、彼の上司から、
「本来は1週間で戻ってこれるはずだったけど、長引きそうなので後任をあてがいます。」と、無機質なメールがチームに届きました。
いや…そういうことじゃなくてですね…。
(会社からしたら、そうするしかないんでしょうが。)
と、なんだかモヤモヤする気持ちを、綴っていきます。
会社は”コスパのいいひと”を探してるだけ?
いまの部署は、会社のなかでも常にフルスロットルでの稼働が延々と続いていて、みんな息をつく暇がないほど全力疾走しています。
会社からしたら、お金を払っているわけなので、
フル稼働させて、コストパフォーマンスを上げたいということも理解できますが、さすがにちょっとキツイなと感じるときも(よく)あります。
私のチームは1年もったら上々!といわれるほどに入れ替わりが激しく、この1年でチームの4割のメンバーが、入れかわり立ち代わりしています。
スピード感についてこれなくなる人、
タスクオーバーになってショートする人、
忙しさのあまり配慮に欠けてミスを連発してしまう人、
など、みんな苦しさを抱えながら離脱していき、
そのたびに人員を補填するということを繰り返すばかり。
考える間もないほど目まぐるしい毎日に、
ただただ身をゆだねるしかなかったのですが、
やっぱり今のような状況には憤りを感じます。
でも、そんな状況だけど、組織はやっぱり変わりません。
要はこのペースで仕事をする人がくるまで、採用すればいいと思っているのかもしれません。
たしかにそういう考え方もありますよね。
結局世の中は、組織を指揮する人の思惑を中心に動いていて、
そこに乗っかる人は、合えば天国・合わねば地獄という感じなのでしょう。
要は、入院した彼でもなく、私でもなく、
この組織に「合う人」がいればいいということなのだと思います。
今日入院した彼のように、いなくなったら、代わりをあてがえばいいのだから。
組織をまわす労働力があればいいわけです。
なんだかちょっと切ないな。
ただし、”健やかなるとき”に限る
昔は仕事人間で、会社のために(というか給料のために)
倒れるまで仕事しようと思っていた時期もありましたけど、
うっすらとなにかが違うんじゃないかということに気づきました。
仕事をする意義は人それぞれで、
会社のために頑張ることが、モチベーションになる方もいるとは思います。
ただ、客観ししておきたいのは、頑張れている今はいいけど、
会社が守ってくれるのは”元気に働けている今だけ”ですよね?
人生のなかで大きな契約のひとつである結婚では、
「病めるときも、健やかなるときも」って、
どんな状況でも支えあう家族になるわけですが(建前?笑)、
会社と雇用契約するときは「健やかなるとき」が前提ですよね、そういえば。
「会社のコマにはなりたくない!」とか、
意識高い系のサラリーマンの言葉が頭をよぎりますが、
会社にいる限り、私は労働力のひとつでしかしかないのだな…と、
ちょっと切ない考えが頭をよぎります。
いい人、辞めようかな
そんなセンチメンタルな気持ちのなか、ちょうどnoteのタイムラインで、
ズルい働き方/しばけんさんという方の投稿をみかけ、
まさにそうだな~と思ったので引用させていただきました。
◆「いい人」とは
・常識や規範、世間体をすごく気にして生きる人
・自分を殺して、社会に漂っている「こうであるべき」「こうするべき」的な規範に自分を合わせている人
・自分軸ではなく、他人軸で生きている人
引用:https://note.mu/shibaken_00/n/n683f636be782
こちらは、脳科学者・茂木健一郎さんの『「いい人」をやめる脳の習慣』という新刊の感想とのことです。
今日入院した同僚は、まさに”The・いい人”ってタイプの方でした。
会社から指示されたことを愚直にこなし、
労力を惜しまず、どんなに遅くまで時間がかかろうとも丁寧に対応していました。
頼まれごとには決してNoとは言わず、なんでも引き受けてしまうような人。
(私はそんなに従順なタイプではないですが、)
少なからず、会社員として「こうあるべき」みたいな考えはあって、
常識や世間体を気にして、凝り固まった考え方をもっている気がしています。
それが悪いこととは思っていないのですが、
社会との付き合い方や、自分のライフデザインを考えたときに、
どこかでこの枠のなかから脱却する必要はあるなと感じています。
自分の代わりは誰にも務まらない
会社にとっては社員(労働力)という役割の1人であっても、
人それぞれにその人の生活や家族があって、人生があります。
仕事は替えがきいたとしても、私の代わりに生活をしてもらうことはできないわけで、
そういう自分にしか守れないものを、もっと大事にしたいなと思った今日この頃でした。
同僚の彼も、早く元気になって、
もっと自分を大事に生きてほしいなと願うばかりです。
その人にしか送れない人生を、大切にしたいですね。
つけたし:
思うままに書いてしまって、
話がいろいろ混在しましたので、追加でまとめます。(笑)
いい人を演じずに、健やかに働き続けられる場所であるといいなということが言いたかったのです。
家や会社、プライベートシーンなど、ひとりの人格のなかでもキャラを使い分けるのは自然なことですが、
なりたい自分でいられるような会社に出会えたらいいなと思います。
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