ロバート・ルイス・スティーブンソンの星を読む
冒険小説『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』の作者ロバート・ ルイス・スティーブンソンのホロスコープを読んでみます。
太陽は蠍座で水の男ですが、エレメントは火も多いです。
太陽(意志)は、蠍座20度。サビアンシンボルは「自らの良心に従い、兵士が規律に抵抗する」。これは、反抗心やサボタージュというか、社会システムになじまないようなところがあります。
月(感情)は魚座8度で、魚座4度の海王星とコンジャンクション。大変なロマンチストという感じですし、優しい性格だったでしょう。
ただ8.9度あたりはムチャをするんですよね。勢いでつき進もうとするし、何かにハマりやすい感じもします。傍から見れば不思議ちゃんだと思います。
月のサビアンシンボル「ライバルを意識して馬を駆り立てる騎手」は、目標に向かってまっしぐらに進むような意味があります。
子ども時代
実際スティーブンソンは、生まれた時から病弱で気管支が弱く、若い頃に罹った結核のため、各地を転地療養しながら作品を執筆していたそうです。
気管支や肺は、水星が表します。水星は蠍座12度にあり、牡羊座土星とのクインカンクスが気力体力の無さを表している気がします。
スティーブンソンが生まれた1850年というと、小氷河期が終わろうとしている頃で、ヨーロッパは気温が低かったそうです。
日本の昔の作家にも肺を病んでるイメージがありますが、1800 年代のヨーロッパの都市は過密状態で、公共の場での唾吐きなど衛生状態が悪く、細菌感染が広まっていたため結核患者が多かったそうです。
気候の状態も影響したでしょうね。
転地療養するような体力の無さにも関わらず、スティーブンソンは多作だったようです。
作家の技量は水星によることが多いですが、水星と海王星のトラインがロマンを感じる詩や冒険小説を書かせたのでしょう。
18歳の時に名前を変えたのが気になったので調べて見ると、父は灯台の技師のトーマス・スティーブンソン(1818–1887)、母はマーガレット・イザベラ・バルフォア。
バルフォアという姓にピンと来たのですが、母方の祖先は、いわゆるジェントリ(地方の貴族、荘園主)と呼ばれる階級の人で、母の父ルイス・バルフォア(1777–1860)はスコットランド教会の牧師でした。子どもの頃のスティーブンソンは、よくこの祖父の家を訪れていたそうです。
スティーブンソンの生まれた時の名前は、曽祖父のジェームズ・バルフォア(哲学者(1705年8月20日-1795年3月6日))からの代々の先祖を尊重して、ロバート・ルイス・バルフォア・スティーブンソンとつけられたとのことでした。
なぜ「バルフォア」の部分も削除したのかはわかりませんでしたが、スコットランド教会(長老派)の牧師であった祖父が亡くなり、教義と距離が出来ていった影響もあるかも、と思いました。大学に行く頃には、彼は無神論者になっていました。
7歳の写真を見ると、可愛さもさることながら、ヴィクトリア朝の王子を思わせるファッションが素敵ですね。
スティーブンソンは一人っ子で、変わった子だったとか。それはアセンダントが水瓶座のせいかも。7,8歳ぐらいから物語を書き始めていたそうです。
天王星(牡羊座27度)と冥王星(牡羊座28度)のコンジャンクションは、世代的なものです。(この時代には、まだ冥王星は発見されていませんが)改革の星・天王星と、破壊と再生の冥王星の重なりは、徹底的な改革が起きるので、オリジナルな発想をする人が多く生まれます。
同世代の作家に、小泉八雲、モーパッサン、バーネットがいます。
作家活動
1874年、22歳の時に雑誌に発表したエッセイ『南欧に転地を命ぜられて』が処女作になりました。そのあと、長編、短編、ノンフィクションなど怒涛の執筆になっていきます。有名な『宝島』(1883年)、『ジキル博士とハイド氏』(1886年)は、30代の作品です。
若くして成功するとか注目される人の場合、アセンダントからMCまで距離が短いケースが見られます。スティーブンソンの場合もアセンダントからMCまで58度です。
MCのサビアンシンボル「大ピラミッドとスフィンクス」は、古代の叡智や古代の精神体系を引き継ぐという意味があります。27歳になった時、彼はキリスト教と和解したことを父に手紙を知らせています。
妻でアメリカ人のファニー・オズボーン(1840–1914)と出会ったのは、25歳の頃(1875年)。ファニーは10歳年上で既婚で2人の子どもがいたが、1879年に夫が病気を患い、離婚。ファニーはその後、作家になり、1880年5月にスティーブンソンと結婚しました。
金星は射手座29度にあり、牡羊座28度の冥王星とトライン。松村潔先生曰く「貞子アスペクト」です。貞子と言っても、呪いとかお化けという意味ではなくて、魔性や魔力、あらがえない力で惹きつけられる感じです。
好きになってはいけないと、わかっているのに好きになってしまう、みたいな感じかな。そういう異性を引き寄せてしまうんです。
スティ―ブンソンが10歳年上でバツイチ子持ちのファニーに魅かれたのは、このアスペクトの影響かなと思いました。
また、作家のホロスコープに「貞子アスペクト」があると、作中の人物に仮託するそうです。貞子の産みの親、作家の鈴木光司さんもこのアスペクトをお持ちでした。
スティーブンソンの場合も、『ジキル博士とハイド氏』などに現れたのでしょう。
サモア移住と作風の変化
スティーブンソンのチャートで目立つ、天秤座13度木星と牡羊座15度土星のオポジション。木星=拡大、土星=縮小が緊張の角度にあるため、大げさだったり、やり過ぎな面も表れます。また浪費家のアスペクトでもあります。
スティーブンソンは、具合が悪く寝込む日も多かったわりには、元気なときには旅行も多く、南太平洋やニューヨークへも度々出かけていました。
1889年にハワイ諸島を訪問した際にはカラカウア王と親しくなり長期滞在しています。1890年10月(40歳の頃)には、家族とともにサモア諸島のウポル島に移住し、残りの生涯を過ごしました。
彼は島人から「ツシタラ(語り部)」として好かれ、島の争いを調停するなどの仕事をしました。島での暮らしは健康に恵まれ、多くの作品を発表しました。
サモアに移住してから、スティーブンソンの作風は、ロマンスからリアリズムへの転換していきました。
1886年から1894年の間、サモアでは内戦が続いており、主に政治的闘争でしたが、ドイツ帝国の軍隊が何度か介入し、米国、英国の影もちらついていました。スティーブンソンの死から5年後の1899年、サモア諸島はドイツと米国の間で分割されました。
44歳の死は早いですね。でも、濃密な人生だったように思えます。
蠍座25度の火星と、牡羊座の天王星、冥王星のクインカンクスは、大胆さとオリジナリティにあふれた人物であったことも窺わせます。。
死後の評価
ホロスコープのアセンダントは、その人の人生の始まり、ディセンダントは人生の終わり(死後の評価)。スティーブンソンは、アセンダントに南ノードが、ディセンダントに北ノードがコンジャンクションしています。
スティーブンソンの作品は、今日もなお『宝島』『ジキル博士とハイド氏』『新アラビア夜話(自殺クラブ)』などは、児童向け抄訳を含めて日本や世界各国で広く読み継がれています。全作品が19世紀に属する英国作家としては、最も大衆的人気を保ち続けている一人だそうです。
死してなお、作品が生き続ける。それは北ノード(魂の目的)がガラスを吹き続けているかのようですね。
スティーブンソンの墓碑に刻まれている彼自身によるレクイエムの詩。
今回、ロバート・ルイス・スティーブンソンを取り上げたのは、写真を見た瞬間なぜか「あれ?この人、知っている気がする」と思ったからですが、でも、私のホロスコープとはほとんど接触がなかったです。
スティーブンソンの北ノードが私の天王星と同じ度数「ガラス吹き」、スティーブンソンの火星が私の月とオポジション(オーブ1度)ぐらいでした。
なぜか、この人のホロスコープを読まなくちゃと思ったのも不思議でした。
大きな目と貞子アスペクトにやられたかしら(笑)
皆さんも何か感じられますか?