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京都旅行 2023.5 龍源院(大徳寺)

昨年5月の京都旅行記、はや7回目です。

前日に無理をして大文字山に登った影響で疲労感が強かったため、『ゆったりと庭園を愉しもう』ということで大徳寺を訪問してみました。

大徳寺には24もの塔頭寺院があるのですが、この日は黄梅院・龍源院・興臨院・瑞峰院にお邪魔しました。

前回黄梅院を取り上げましたが、今回はその後訪問した龍源院について書いてみます。


龍源院は、1502年、能登領主であった畠山義元、九州の都総督であった大友義長らが東渓宗牧(とうけい そうぼく)禅師を迎えて創建した寺院。
数多ある大徳寺の塔頭の中で最古の寺院です。

寺院に入ると書院があって、その南側には石庭「滹沱底」(こだてい)があります。この庭にある2つの石は豊臣秀吉が建立した聚楽第の遺構と言われています。

「滹沱底」(こだてい)
「滹沱底」(こだてい)
「滹沱底」(こだてい)



そして書院のはす向かいには、日本で一番小さい石庭といわれる「東滴壺」(とうてきこ)があります。パンフレットでは「底知れぬ深淵に吸い込まれそうな感じがする」と紹介されています。

小さな空間ですが、広がりを感じることができるお庭でした。運よく、日が差したタイミングで写真を撮ることができました。

「東滴壺」(とうてきこ)
「東滴壺」(とうてきこ)


さらに奥に進むと、方丈南庭「一枝坦」(いっしだん)があります。白砂で大海を表現、蓬莱山を表す石組みと鶴亀の山を置いた庭です。

かつてここには樹齢700年もの山茶花が生い茂っていたそうですが、残念ながら昭和55年の春に枯れてしまったそうです。

「一枝坦」(いっしだん)
「一枝坦」(いっしだん)
「一枝坦」(いっしだん)



さらに北側にまわると方丈北庭「龍吟庭」があります。室町時代特有の三尊石組みからなる枯山水庭園で、足利将軍家に仕えた相阿弥(そうあみ)の作庭と伝えられています。

杉苔を敷き詰めて石組みを配した庭。点在する石組が印象的でした。

「龍吟庭」


この日は、阪急電車の西院駅からバスで大徳寺に向かいました。道中、車内は「金閣寺道」まで大混雑。そこから先はガラガラでした。

大徳寺への参拝者も少なく、お庭をゆっくと堪能することができました。オススメです。

今回はここまでです。次回は大徳寺塔頭寺院の第3弾、興臨院について書いてみようと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

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