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どうにか毎日を戦い抜け

お手紙をもらった。
以前お誕生日の時に送った手紙のお返事のような、その手紙は誕生日プレゼントで送った夕焼け空の入道雲の便箋が使われていた。
私もあまりにデザインが好きで、思わず贈りたいと思ったその便箋は3カ月越しに見たけれど、やっぱり美しかった。

手紙には志賀への素敵なメッセージが綴られていて、とても嬉しくなってしまった。
そもそも返事をもらえると思っていなくて(いや、くれると一度約束してくれていたのだけれど、忙しい人だし、一度忘れられていたので、よしこれは来ないなと高をくくっていたのだ。)手渡しで直接お手紙を頂いた時にも大はしゃぎして「嬉しい!」と連呼しまったというのに、読んだ後の喜びはそれを越えるくらいのものだった。

手紙にあったたくさんの文章の終わり。最後に友人は志賀の好きなところをいくつか書いてくれた。
一番最後に記してあった好きな所は志賀の声だった。これは分かる。前にも話してもらっていた。私達の初めましてはzoomの読書会だ。「初めて会った時かわいい声の人だと思ったんだよね」って以前話してもらったのを覚えている。大方声のイメージが大きく残っているのだろう。

でも、声のこと以上に大切だと思ったのは、その一つ前に記してあった好きな所。志賀の物理的な良いところではなくて、志賀が想像もしていなかった好きなところ。

「毎日戦うその姿が好きです」

その一言に泣きたくなるほどしびれた。
同時になんだか笑いがこみあげてきた。

私、戦ってる認識なのかよ。しかも毎日。
滅茶苦茶生きるの下手そうじゃん。しんどそうじゃん。
絶対ぼろぼろになってるじゃん、それ。

そういえば前もあなた言ってたね。
「志賀くんが何事もなくスムーズに生きられてたらそれはもう志賀くんじゃないよね」って。
いや、悪口だろうよ、てめえ笑

……でも、そういう志賀が好きなんですもんね?笑
そうなんですよね、友人さん?

志賀は必死に生きてきた。
戦ってきた。
幼い頃から抱えてきた思いをなんとか形にしたくて、出来なくて、泣きじゃくって、傷つけられて、誰か、何かを傷つけて、それでも生きてきた。その自覚がある。そこから目を反らせない。
ずっとずっと泣いてた。怒ってた。叫んでた。どこにも行けなくて。何者にもなれなくて。
今もそんな葛藤を抱えている。
いっぱい言葉を話せるようになった。楽しいことも出来るようになった。
でも、それでも未だに怖い事はたくさんあるし、逃げたくなることの方が世界には多い。時々、消えたくなるほど絶望する。
それでも、こんなところで死んでたまるかって、そう不屈の精神でやってきた。なんとか生きてきた。泣き叫んで、怒り散らして、時には剣で傷つく事を厭わずにがむしゃらに振り回して生きてきた。
傷の数は数えられない。もう数えるのはやめた。
誰にも治してはもらわない。自分の生きてきた結果だから、もう構わないでいようと言い聞かせてきた。

でも、友人の言葉に間違いなく救われた私がいた。
傷はどうしようもない。痕は消えない。みっともない。笑われてしまっても仕方ないと諦めていた。
でも、友人の言葉はそんなみじめで不器用で、最低な私を認めてくれた言葉だった。
救われた。認められて、生きてきてよかったと思った。泣きたくなった。

手紙をくれてありがとう。
貴方の言葉が本当に嬉しかったです。
本当は直接返事をしてもいいんだけど、あの日体験したことを綴ったnoteは共有すると約束したからそのままここに返事を書いてしまいます笑
貴方は手紙の最後にこれからも自分と仲良くしてほしい…的なことを書いていましたけど。その答えは「もちろん!!」です。
大好きです。私を救ってくれるあなたが。無意識かもしれないけれど、私の心を大きく動かせる言葉を使える、そんなあなたを尊敬しています。
だから、出来るだけ長く仲良くさせて下さい。私の方こそよろしくお願いします。めんどくさい人間なのは重々自分でも分かってますが、愛想をつかさないでくれると嬉しいです。
あなたが好きだと言ってくれるなら、私はどうにか毎日を戦い抜いて、未来永劫までも生き抜いてみせるから。なんて、流石に重すぎる気もするけれど。

私の大好きな、愛すべき友人、他の誰とも替えのきかないあなたという存在に祝福あれ。

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