闘病生活。。。
あまり需要ないですけど、続きが遅くなってしまいました。
いよいようつ坊登場です。
ある日突然、ブチっという音(のようなもの)とともに倒れてしまいました。仕事は全部そのまま、電話で体調不良だとは伝えたのかどうかも定かではないです。1日中布団で泣いてたのかな。。。
自分でも理由がわかってないので、パニック発作のような感じだったと思います。
ほぼ寝れず、次の日も同じ。嫁が少し声をかけるという感じでしたが、返事もできず、出来ても全て「No」で返答して困らせてしまってました。。。
流石に嫁もこれはやばいんじゃないか、ということで「ネットでメンタルチェックリスト10」みたいなものを探してきて、5種類くらいやってほぼ全て当てはまったのでメンクリに無理やり連れて行くと言って連行されました。
あまり土地勘もないところで、とりあえず見つけたメンクリを予約して駆け込んだ。検査とかそういうのはなく、話せない状態、無表情、気力なしの状態で挨拶早々、「はい、うつ病ね」診断書書くからお待ちください。ってなった。一人待合室で待ってたけど、緊張と震えと大量の汗と周りの視線が気になってパニック状態に。。。一人で号泣してしまった。
その間、嫁が薬や今後どうすれば良いのか?などしっかり話を聞いてくれていたみたい。話せない、動けない、すぐ泣く、絶望的でした。人事部の良く知っている方へ嫁から電話をかけて事情を説明してもらってた。診断書は郵送。1ヶ月後に電話する約束でそのまま休職扱いになった。
流石に忙しい部署で状況は大パニックだったと思うけど、どう乗り切ったのかはわからない。逆の立場は何度も経験してたからなんとかしてたんだろう。でもそんな状態でも仕事は気になってしまって、メールチェックしてしまった。全国(海外も)から数百件?のクレームメールが入ってた。読まずにすぐにノートパソコンを切った。。。それだけは鮮明に覚えてる。いまだに若干トラウマです。
1週間くらいはずっと寝たきりだった。自分がうつで休職してるという事実はそれくらいで少し理解したように思う。それまでは体調不良で連休をもらっているということだと思ってた。それくらい混乱してた。抗うつ剤も飲み始めたし、睡眠導入剤や睡眠薬も飲んだ。良くわからないから嫁の言う事を聞いた。情けない(訳ではなかったんでしょう)けど、嫁がいない時はパニック状態になってしまってた。お風呂やお買い物くらいの短期間でも発生してたから、嫁はきつかったと思う。
1ヶ月はあっという間だった。流石に少しは落ち着いて、人事担当と話をした。全て問題ないから休めるだけ休んでほしいとの事。現場時代から知る間柄だったので、若干救われた感じだった。嫁以外の人間と話したのはメンクリの先生とその人くらい。他の人は無理だった。
仕事に追われる不安みたいなものは減ったけど、ほんとに対人恐怖は全くダメだった。
そんな中、実家から一つの本が郵送されてきた「病は気から!!」的な本だったと思う。すぐに捨てた。親から毎日電話が掛かってきていたけど、嫁があしらってくれていた。東京に来たこともあったらしいけど、帰ってもらっていた。そんな状況じゃなかったし、いつ死んでもおかしくなかったし、むしろ死んでたと思う。
あまりに連絡頻度がひどく、嫁もあしらえなくなってきていたので、むしろ現実を見せた方が早いということになった。結局、東京の親戚宅で会うことになった。目も合わせられず、一言も話せなかった。対人恐怖は知っている人にほど強くなるからで、両親との接触は地獄だった。ただ、親からの連絡はその後無くなった。
あとで聞いたら、その後も親は「話せば元気になる」と自信を持っていたらしい。現実を見てもなお認めなかったのは理解に苦しむが、そもそもそういう親だから不思議なことじゃない。
何もしない日々が1ヶ月半くらいたって、ようやく深夜や早朝(人がいない時間帯)にコンビニに行ったり、マンションのゴミ置き場に行ったりする訓練がスタートした。嫁が考えたみたいだけど、コンビニにサイダーを買ってきてほしいとか、アイスを買ってきてほしいとか、言うようになって、一人になる練習をする為に“はじめてのお遣い”にチャレンジした。けど、コンビニのレジに行けなくてそのまま帰ってきたこともあった。パニックでチョコモナカジャンボを元の位置に戻せなかったこともあるけど、セブンイレブンさん本当にごめんなさいです。。。
うつ、って言ってもそんな簡単なものじゃないと実感した休職初期でした。
この時はこれから長期戦になることなど嫁も僕も思ってませんでした。。。流石に数ヶ月だろうと。
まさか数年になるなんてね。笑
症状や治療や社会復帰までの過程を少しづつ思い出しながら綴っていきます。
これからもよろしくお願いします。
photo:le tour de Tokyo(内容的に横になってます)